ベストピア
ぶどう園通信

No.12 2008年7月

 聖母マリア

滝沢 陽一

フィレンツェにて

 美術ガイド・ブックを片手に、フィレンツェを歩きまわっていた時のことである。 古い石造りの町並みが続いていた町角に、一軒、正面のドアが開いてひとりの中年の女性が出てきたが、ふと中にろうそくの火が見えたような気がした。 中に入ってみると、やはり礼拝堂であったが、それも縦横六,七米と狭く、ベンチが左右三つづつ並べられ、聖壇は花に飾られ、ろうそくが各所にともされ、 敬虔な思いにさせられた。
 しかし、気が付くと、正面に立っているのは聖母マリア像であった。まわりを見迴してみたが、何処にもキリスト像が無い。十字架も無い。
 カトリック教会は聖母マリアを後述のように神格化し、マリアに崇敬の祈りをささげてきた。礼拝堂の内外に、路傍に、また奇跡の現場には、 必ずマリアが現れたという。そのような一連の事として「マリア堂」が庶民の手で造られ、その町の守護神、心の拠りどころとして、朝に夕に花やろうそくを供えて、 祈ってきたのであろう。

アヴェ・マリア

 ラテン語の「天使祝詞」の冒頭の句。ラテン語のaverereアヴェレーレ(幸いである)から来たあいさつ(呼びかけ)のことば。

天使祝詞(アヴェ・マリア)
めでたし聖寵満ち満てるマリア
主おんみとともにまします
おんみは女のうちにて祝せられ
ご胎内の御母聖マリア
罪びとなるわれらのために
今も臨終のときも祈りたまえ
アーメン。
(ルカ一・二八、四二)(文語)

ロザリオの祈り

 カトリック教徒はロザリオの珠を繰りながら「ロザリオの祈り」を唱えるが、「一連」は一つの主の祈り、十の天使祝詞、一つの栄唱(頌栄)から成り、 五連で一環となる。ロザリオの祈りを唱える時、天使祝詞(アヴェ・マリア)は五〇回となえることになる。マリア崇敬のほどが知られる。

聖マリア無原罪の御宿り

 一八五四年教皇ピウス九世により、信仰箇条として宣言され、現在も使徒信条と共に信じられている。
 聖母がその母の胎内にみごもった瞬間から、原罪をまぬかれていたこと、これは聖子に予定された功徳を前もって与えられることによって、 原罪をまぬかれたのである。一級大祝日、典礼色白色、祝日は一二月八日。

聖マリアの被昇天

 聖母マリアが、地上の生活を終えてのち、その霊魂も内身も、天国の光栄にあげられたこと、被昇天は無原罪の御宿りの論理的帰結。 原罪の結果である死の腐敗をまぬかれ、天にあげられたこと。一九五〇年教皇ピウス一二世より、前者と同じく信仰箇条として宣言された。 祝日は八月一五日、一級大祝日、典礼色白色。一級大祝日は降誕、復活、聖霊降臨に並び守られる。
 キリスト教百科辞典(カトリック)  一九三五年初版。

 『マリア――キリストにおける恵みと希望』教文館、
二〇〇七年一二月
 本号がマリアを主題としたのは、この文書の出版が契機となっているが、 これは聖公会とローマ・カトリック教会国際神学委員会との合意声明の文書である。
 世界の教会、教派の再一致運動、エキュメニカル・ムーヴメント(Ecume nical Movement)は一九世紀以来、 さまざまな動きが見られるが、その最近の例の一つとして、 英国教会(イギリス国教会、The Church of England、その系統として日本では聖公会)とローマ・カトリック教会の深い交流への動きがある。
 英国教会は一六世紀、ヘンリー八世が離婚を認めないローマ教皇から離反し、みずからその首長となって樹立した国教会であり、 エリザベス一世の時、祈祷書、礼拝式文(一五五九年)と三九箇条の信条(一五六三年)が確定し、現在に至っている。 プロテスタントとカトリックというと、前者に属し、またブリッジ・チャーチ(橋わたし、中間の教会)とも言われている。
 再一致はなかなか困難であり、両者の交流は深められているが、その難題の一つが、マリアの教義なのである。 カトリック教会は前述の二つの教義を取り消さないままに、その解釈を改めて、英国教会、聖公会とのマリア教義の理解の一致を求めようとした。 そしてその結論がこの文書なのである。

一九八一年の合意点

 両教会の委員会は一九七二年から合同委員会を結成し、定期的に対話の機会を設けてきている。 マリアについては、一九八一年、次のように合意と相違点を発表している。

 (1)「われわれは、神と人との間の仲介者はただ一人イエス・キリストであることを認めており、 この主張を不明瞭にするようなマリアの役割についてのどんな解釈も排斥する。」
(マリアの役割はキリストの唯一の仲介を損なわない)。
 ⑵「われわれはさらに、マリアについてのキリスト教的理解がキリストと教会に関する教義と分かちがたく結ばれていることをも共に認めている。」
(マリアに関する理解は教会に関する教義と不可分である)。
 ⑶「またマリアの祝日を守り、諸聖人の交わりの中で彼女を崇敬しつつ、 受肉した神の母(テオトコス)であるマリアが受けた恩恵と独特な使命を共に承認している。」
(受肉した神の母マリアは独特の恩恵と使命を受けた)。
 ⑷「われわれは彼女がわれわれの贖い主の母となるために神の恩恵によって準備されたことを共に認めている。」 (マリアは人間の贖い主の母となるために神の恩恵によって準備された)。
 ⑸「マリア自身、このキリストにより贖われ、栄光に迎え入れられた」。
 ⑹われわれはさらにマリアがすべてのキリスト者にとって聖性、従順、信仰の模範であることをも共に認めている。」
(マリアは全キリスト者の理性、従順、信仰の模範)。
 ⑺われわれはキリストの受肉の前でも後でも彼女が神の教会を表す預言的象型であったとみなしうることも承認している。」
(一九九五年、教皇ヨハネ・パウロ二世は「回勅」(聖書と同等の権威を持つ)の中で、 「神の母であり、教会のイコン(像)、キリストの弟子たちと全人類のために執り成す霊的な母である、おとめマリア」と主張し、 前述のこの合意以前のカトリック教会のマリア崇敬の強さを示している)。

執り成し

 アヴェ・マリアの最後の句は、「罪びととなるわれらのために、今も臨終のときも祈りたまえ。アーメン。」とある。
 「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリストただおひとりなのです」(Ⅰテモテ二・五)。
 「この方(キリスト)は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、 完全に救うことがおできになります」(ヘブライ書七・二五)。
聖書にはこのように示されているのに、ここではマリアがキリストに代わる存在となっている。

二〇〇七年合意の結論

 カトリック教会は、委員会の協議にもかかわらず、「被昇天」「無原罪の宿り」の教義を合意後も撤回せず、 また前述のような回勅もあったが、二〇〇七年末日本語訳が出版された、 ローマ・カトリック教会・聖公会国際委員会の『マリア――キリストにおける恵みと希望』文書の中で、大きな進展を見せている。
 マリアの教義は聖公会、さらにそれを経て、プロテスタント教会とカトリック教会とが、 「わたしが一つであるように、彼らも一つになるためです」(ヨハネ一七・二〇)との主イエス・キリストの祈り、 「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、 すべてのものの父である神は唯一である」(エフェソ書四・四)との世界教会、教会再一致への動きの一つの大きな障害なのである。 一つの教会を目指す神学者そして信徒は、「アヴェ・マリア」と心やすらかに歌ってはおられないのがキリスト教の教会神学の一つなのである。

両者の合意文書の結論を紹介する。
 ⑴マリアの役割に関するいかなる解釈も、キリストが唯一の仲介者であることを不明瞭にしてはならない。
 ⑵マリアについてのいかなる考察もキリストと教会に関する教理と結ばれていなければならない。
 ⑶われられは祝福されたおとめマリアを「テオトコス」、受肉した神の母と認め、マリアの祝日を守り、諸聖人の中でマリアに栄誉を帰する。
 ⑷マリアは恵みによって、われられの贖い主の母となるために準備された、マリア自身、この贖い主によって贖われ、栄光に迎え入れられた。
 ⑸われられはマリアを、すべてのキリスト者にとっての聖性、信仰、従順の模範と認める。
 ⑹マリアは教会を表す預言的な姿であるとみなしうる。


パレスチナ紛争史(4)

 一九九三年 イスラエルとPLOが相互承認。アラファトが自治区内で初代議長になる。
 二〇〇三年 米国の提案を承認、イスラエルとパレスチナの二国家共存を両国が受諾。
 二〇〇四年 アラファト議長死去。
 二〇〇五年 アッバス新議長。イスラエル、ガザ撤退。パレスチナ自治区はガザ(南部海岸一帯)とヨルダン河以西に分かれ、 ガザはハマス(イスラム原理主義組織)が支配、イスラエル軍と常に攻撃、報復をくり返す。ハマス、自治政府を支配。
 現在。ガザの封鎖解除。完全和平に向かいつつもハマスとイスラエル軍の砲撃、時々あり。
 二〇〇八年 イスラエル建国六〇年、イスラエルに逐われたパレスチナ難民発生、「ナクバ」(大惨事)六〇年。 和平後の最大問題は、レバノン在住の難民の窮状の解決である。


近況報告    滝沢陽一

 二〇〇七年十二月四日ー一〇日、相模原病院(旧国立)に入院。 X線写眞で、心臓のまわりからからだ中に水がたまっていたので、人工透析の時と判断され、一一日、相模台病院に転院させられ、 翌日、シャント造設手術を右腕にされました。十二月二二日(土)まで静養、退院。二三日クリスマス礼拝にて聖餐式司式。 以来、外来診察に通い、食事療法も怠らず、元気にしておりましたが、体の中では腎炎が進んでおりクレアチニンの数値もあがり、 二〇〇八年五月七日相模台病院に入院、八日より人工透析センターに通い始め、一週三日、一回二、三、四時間と体をならし、 五月二八日退院。二九日(木)より火、木、土曜日、二時半ー六時半、通院、透析を受けています。 右腕裏に二箇所、針をさされ、管につながれ固定、左右に少し動かせ、体は仰向けか右下で、いろいろ、もぞもぞ楽な姿勢をとっています。 そして四時間、やはり長いです。
 外見は元気で、やせさせられましたが、透析食もカロリーはしっかり取らねばならず、外出はあまりしませんが、週三日、 午後病院で仕事があるという気分で、透析が日常化されればよいと思っています。 治枝が食事、付添いをはじめ、生活のすべての面に気をくばり、助けてくれますので、有難く感謝しています。
 透析は中断されることはなく、透析できなくなった時が、人生の終りですから、この度、病気を直そうというのでなく、 自分の人生の最期がこの姿で終ることが明らかに示されましたのでかえって平安を与えられています。
 「身を横たえて眠り、わたしはまた目覚めます。主が支えていてくださいます。」(詩篇三・六)
 「御心のままに」(マタイ二六・三九)

追記(七月九日)

 毎日の生活は右の通り、起居動作、一見、「健常者」と変りなく過ごしておりますが、「身体障害者手帳」(一級)をいただき、少しく緊張しております。
 ヒルティ『眠られぬ夜のために』 第一部(一九〇一年)

四月二十日

 演劇人たちはよく「うまい引っ込み」という言葉を使うが、これは、人生の過ぎ去った時期について思い出す時にも、 また、われわれの生涯に深い交渉をもって通り過ぎた人びとのことを思い出す場合にも、意義あることである。
 われわれはよくも悪くもあらゆる出来事から、正しい、気品ある態度で別れを告げ、 最後には人生そのものからも「立派な」別れをするように努めなければならない。
 もっとも、われわれ自身そういう引っ込みを見出しかねていると、われわれの敵側がかえってそれを与えてくれることも、しばしば起こるものである。
(カール・ヒルティ。一八三三年 ― 一九〇九年。スイスの哲学者、法律、政治学者。 実際家であると共に読書家であり、この瞑想録は世界中で今日もなお読まれ、版を重ねている。)