ベストピア
ぶどう園通信

No.11 2008年6月

憂愁の詩人 その詩と信仰

 ―八木重吉の人と詩選抄―

苅部 幹央

 草野心平は、「八木重吉は写真でみても分かるようにさびしい顔をしている。こんなさびしい顔は滅多にない。」 (「覚え書」創元選書版『八木重吉詩集』昭和23年3月刊)と言っている。
 その八木重吉は、処女詩集『秋の瞳』と第二詩集『貧しき信徒』の二冊の詩集を残して、 1927(昭和2)年10月26日結核により29歳8か月で亡くなった無名の詩人であった。
 残された4歳5か月の桃子と2歳9か月の陽二を抱え、22歳8か月のとみは、豊島区池袋に居を移して、 洋裁の内職や10年間の白木屋勤務などをして自力で養育に専念する。そんな母を桃子は、中学1年の時の作文に、 「夜の九時半といえば、此の辺はひっそりとしずまりかえって、時々人々の足音が聞こえるだけ。もうお母様のお帰りになる頃だ、 私は耳をすまして、お母様の足音を聞こうとして、待ちつづけている。お父様のお亡くなりになった時、お母様はまだ二十三歳のお若い頃、 今年で丁度十年目だといいます。『二人の子供を、よきクリスチャンにしてくれ』とのお父様の遺言を一心に守って、 私と弟とをこれまで育てて下さいました。」という一節を書いている。その桃子は1938(昭和12)年12月29日に父と同じ結核で14歳の生涯を閉じた。
 その姉の死を深く悲しんだ弟は「陽二の歌」として次の詩を書き留めた。

ねえさんみんなにかわいがられ
死んだ後にもほめられて
ねえさんほんもうわれうれし。
くる人くる人ねえさんの
てがらばなしでうずもれる
かげにききいるわたくしは
うれしさあまり泣きました。
ねえさん死んだ其の顔は
信仰もって居たせいか
ほほえみ顔でありました。
ねえさんごめんねゆるしてよ
かそうばの中へいれちゃって
さぞかしあつうでございましょう。

 その陽二も、2年後の1940(昭和15)年7月9日に父・姉と同じく結核により15歳で召天してしまった。
2人の子供を失ったとみは、その悲しみを次のように回想している。

「重吉が生前、子供のためなら命を投げ出すというほどに愛し、そして亡くなる前には切々と『二人を人間として、 よき人間に育ててくれ、頼む』といい残していた桃子と陽二。重吉の面影や心までが映っていたわが子二人を次々に死の手に奪われて、 私はこれからどのように生きていったらよいのか。重吉と死別後は二人の子を育てることだけが私の生き甲斐だった。 それがなぜこんな残酷な目に合わなければならないのか、悲しみを通り越して茫然としたまま、幾日かが過ぎていった。 幾日も幾日も、生きてゆく力も失せてしまった私の、うつろな日はつづいた・・・。」
 (『琴はしずかに 八木重吉の妻として』 昭和51年刊 弥生書房)

 桃子と陽二を失ったとみは、翌年より思い出深い重吉召天の地・茅ヶ崎の南湖院に事務員として4年間勤める。
 その後縁あって、1947(昭和22)年10月26日八木重吉没後21年の命日に歌人・吉野秀雄と再婚する。 吉野秀雄一家が刊本と原稿を綿密に照合編集した画期的な『定本八木重吉詩集』が1958(昭和33)年に、 翌年に吉野登美子編集の『新資料 花と空と祈り』がそれぞれ弥生書房から出版された。
 草野心平は、詩壇でいち早く「日本の基督に関する詩は八木重吉の詩をもって私は最高としたい。 従来ともあるにはあったが、それらは殆ど概念的で低俗な理屈と平板な感情にすぎなかった」と評価している。(同上)
 キリスト教界の方からは井上良雄が最初に「八木氏において初めて、 信仰告白が日本の詩といわず日本の文学的言葉になった」(「八木重吉の詩」『基督教文化』昭和23年8月)と評価した。 1950(昭和25)年に鈴木俊郎編『信仰詩集 神を呼ぼう』が新教出版社より刊行され、キリスト教信徒に広く読まれてゆく機縁になった。
 江藤淳は重吉の詩を「護教論の宣伝」から解き放ち、「実存的体験の所産」と「内面的現存の表現」とみて、 それが「キリストのみを見ようとする人々に見えないものをも示している」ことを「文学的な深さである」としてとらえようとしている。 (『日本詩歌』第23巻 中央公論社 「詩人の肖像」参照)
 八木重吉は愛する人と結ばれ、温かい家庭とキリスト教の熱心な信仰を抱きながら、なぜ、 千葉県柏の重吉の家に尋ねた時の印象が草野心平に、「家庭はいかにも温暖そうなのに、彼の顔はみぞれのようにさびしそうだった」、 また「さびしそうでそしていかにも孤独であった」(同上)と映ったのだろうか。
 旧約学者・関根正雄は「想起の詩人・八木重吉」(1967〈昭和42〉年「月刊キリスト」2・3月号)で「ことばからみた重吉詩の特質」として 心情を述べた語彙が非常に多く、1600回以上に達し、その中で「かなしい」が最も多く161回も用いられ、全体の10・1%にもなると指摘している。
 まさに重吉は「かなしみと/わたしと/足をからませて たどたどとゆく」短い生涯を送ったのである。 その「かなしみ」は「かなしみを乳房のようにまさぐり/かなしみをはなれたら死のうとしている」のである。 それは、「これ以上の怖れがあろうか/死ぬまでに/死をよろこび迎えるだけの信仰が出来ぬこと/これにました怖れがあろうか」という祈りになる。 八木重吉の「かなしみ」の源泉はここに隠されているのではないだろうか。
 吉野登美子は1999(平成11)年2月12日に94歳で召天する。困難な時代の中で、重吉の詩稿を守り抜き、出版に心血を注ぎ、 今日の発展に尽くした。夫である歌人吉野秀雄は「重吉の妻なりし今のわが妻よためらわずその墓に手を置け」 「われなき後ならめども妻死なば骨分けてここにも埋めてやりたし」と重吉没後25周年の墓参の際に歌った。 重吉の甥・八木藤雄氏により平成11年4月10日、登美子の分骨式が行われ、重吉、桃子・陽二の隣の墓に葬られた。3基並んで登美子は、 同じ眠りに就いたのである。

 

八木重吉詩選抄

次の6項目に分けて選びました。

1、聖書・キリスト

  ○
聖書を読んでも
いくらよんでも感激がわかなくなったなら
聖書を生きてみなさい
ほんのちょっとでもいいから

  真 理
真理によって基督を解くのではない
基督によって
真理の何であるかを知るのだ

  仕 事
信ずること
キリストの名を呼ぶこと
人ゆるし出来るかぎり愛すること
それを私の一番よい仕事としたい

  基 督
彼は手をあげ
ひとつのとばりを掲げてくれる
私は安心して行きさえすればいいのだ

 

2、信仰・祈り

  信 仰
人が何と云ってもかまわぬ
どの本に何と書いてあってもかまわぬ
聖書をどう書いてあってさえもかまわぬ
自分はもっと上をつかもう
信仰以外から信仰を解くまい

  聖 霊
聖書が聖霊を生かすのではない
聖霊が聖書を生かすのだ
まず聖霊を信ぜん
聖書に解きがたきところあれば
まず聖霊にきかん
聖書のみに依る信仰はあやうし!
われ今にしてこれをしる おそきかな

  十字架
十字架を説明しようとしまい
十字架のなかへとびこもう
十字架の窓から世界を見よう

  
このさびしさを誰に告ぐべきか
神に告ぐべし

 

3、自然・人生

  夕 焼
ゆう焼をあび
手をふり
手をふり
胸にはちさい夢をとぼし
手をにぎりあわせてふりながら
このゆうやけをあびていたいよ
   (詩碑 神戸市・御影中学校)

  素朴な琴
このあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしずかに鳴りいだすだろう
   (詩碑 町田市相原町・重吉生家)

  草に すわる
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる

  
この飯がなければ
この飯を欲しいとだけ思いつめるだろう 
   (詩碑 神奈川県城山町・川尻小学校)

 

4、心・美しいもの

  ねがい
人と人とのあいだを
美しくみよう
わたしと人とのあいだを
うつくしくみよう
疲れてはならない
   (詩碑 町田市相原町・大戸小学校)

  不思議
こころが美しくなると
そこいらが
明るく かるげになってくる
どんな不思議がうまれても
おどろかなくおもえてくる
はやく
不思議がうまれればいいなあとおもえてくる

  幼い日
おさない日は
水が もの言う日
木が そだてば
そだつひびきが きこゆる日
   (詩碑 兵庫県西宮市・夙川公園)

 

5、家族・故郷

  母をおもう
けしきが
あかるくなってきた
母をつれて
てくてくあるきたくなった
母はきっと
重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう

  桃子よ
もも子よ
おまえがぐずってしかたないとき
わたしはおまえに げんこつをくれる
だが 桃子
お父さんの命が要るときがあったら
いつでもおまえにあげる

  ふるさとの 山
ふるさとの山のなかに うずくまったとき
さやかにも 私の悔いは もえました
あまりにうつくしい それの ほのおに
しばし わたしは
こしかたの あやまあちを 讃むるようなきもちになった

 

6、病気・死

  
長い命でないとおもえば
これから一生懸命に
力をつくして
神様を信じ
人を愛してゆこう

  冬の夜
おおひどい風
もう子供等はねている
私は吸入器を組み立ててくれる妻のほうをみながら
ほんとに早く快くなりたいと思った

  風が鳴る
とうもろこしに風が鳴る
死ねよと 鳴る
死ねよとなる
死んでゆこうとおもう

  
早く癒って
神様とイエスの名をひろめたい

 

苅部幹央兄 もと横浜女学院中高校長。日本文学、特に近・現代文学、キリスト教文学専攻。
 苅部ご夫妻の結婚式の引き出物は、四頁一段の『定本八木重吉詩集』でした。 一生をかけて重吉に傾倒、親しみ研究されておられる方です。(滝沢)