ベストピア
ぶどう園通信

No.10 2008年6月

孤高の詩人 その詩と真実

 ―八木重吉の人と詩選抄―

苅部 幹央

 八木重吉は、1898(明治31)年2月9日、現在の町田市相原町4473に、農業を営む八木藤三郎・ツタの次男として生まれる。
重吉は近くの相原尋常小学校大戸分校に入学し、5年の時に隣村の神奈川県津久井郡川尻村尋常小学校に編入している。

 14歳。1912(明治45・大正元)年に鎌倉の神奈川県師範学校予科1年に入学し、初めて家を離れ寮生活に入る。 師範学校在学中、学業に打ち込み、英語の成績は抜群であった。恒例の行事「強行遠足」では負けん気の強さを見せ、柔道の稽古にも熱心だった。
 友人・宮路武は「八木の一番偉いところは意気だと思う。彼は全く意地張りで意志の強さに於いては何人と雖も敵すまい」、 また「意志の人、情熱の人、火の燃えるような一生を過した人」などと回想している(「鎌倉師範の頃」)。

 17歳。日曜日には日本メソジスト鎌倉教会のバイブルクラスへ通ったとみられる。また「鎌倉師範内の詩の会」に加わっていたと言われる。

 19歳。1917(大正6)年3月神奈川県師範学校本科第一部卒業、4月東京高等師範学校文科第三部英語科に入学し、再び寮生活に入る。

 20歳。『透谷全集』を読む。6月、北村透谷未亡人ミナを新小川町の家に訪問している。ワイルドの『獄中記』を同じころ読んでいる。 この頃同級生と一緒に小石川福音教会のバイブルクラスへ通ったと言われている。 また、10月26日に親友の吉田不二雄と共に初めて駒込基督会の富永徳磨牧師を訪ねる。 重吉は質問し、「基督教の揚げ足を取らんとするに急なる」態度が見られたが、富永が丁寧に説明すると「服し果てた」という。(富永日記)

 21歳。1919(大正8)年1月22日前後、富永徳磨宛に、かつての自分の「高慢」を「悔い受洗したい」旨の手紙を出す。 1月25日夜、巣鴨の富永宅を訪ね、「切にかつ急に受洗を切望」する。富永と「教会に出席することと求道者会に来ることを」約束し、 翌26日、駒込基督会の礼拝に初めて出席し、3月2日受洗。しかし、5月4日駒込基督会の夜の礼拝に出席したのを最後に富永のもとを離れて行く。 内村鑑三の著作や講演を通して無教会信仰に近づいて行ったものとみられる。

 23歳。1921(大正10)年3月、女子聖学院三年級の編入試験を受ける準備をしていた島田とみの勉強の仕上げを一週間みてやる。 東京高等師範学校卒業後、兵庫県御影師範学校教諭兼訓導(英語科)に任ぜられる。9月、島田とみに手紙で愛を告白する。

 24歳。1922(大正11)年1月、2年後とみが女学校を卒業してからという約束で婚約が成立。5月、とみ肋膜炎に罹り、 御影で療養させ自分で教育すると義兄を説得し、女子聖学院4年で途中退学させる。7月19日結婚。重吉24歳5か月、とみ17歳5か月。 結婚後、詩を本格的に書き始める。詩と信仰に打ち込み、油絵を描く生活と秋ごろから、キーツの詩を読み始める。

 25歳。1923(大正12)年、この年に入って詩を自編した手製の小詩稿集を作り始める。この年の作は16冊、それ以前の作9冊、計25冊。 以後毎年作り続ける。5月26日長女桃子誕生。

 26歳。1924(大正13)年は手製の小詩稿集13冊。秋に、処女詩集『秋の瞳』を編む。12月29日長男陽二誕生。 御影時代の4年間をとみは『花と空と祈り』の編集後記の中で次のように回想している。 「重吉はよく勉強するまじめな親切な青年教師だったと、こんにちでも教え子のかたたちが語って下さいますが、 学校では教員室の俗悪な会話にみちた空気をひどくきらい、ひまさえあれば、ひとり校庭の木陰や物陰で、聖書に読みふけっていたようです。 そして家へ帰ると、まず好物のあまいココアを一杯のみ、それから二階へあがって、日記をつけるように詩を書くのが日常のならわしでした。」

 27歳。1925(大正14)年3月31日、千葉県立東葛飾中学校に転任する。8月1日『秋の瞳』刊行される。 その序に「私は、友が無くては、耐えられぬのです。しかし、私にはありません。この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸へ捧げます。 そして、私を、あなたの友にしてください。」と記す。この頃から新聞・詩誌に寄稿を求められ、 また佐藤惣之助主宰の『詩之家』の同人となり次々に詩を発表し始める。手製の小詩稿集21冊。

 28歳。1926(大正15・昭和元)年2月、風邪で病臥。 3月結核2期と宣告される。前任校の学友会雑誌『甲陽』に「世界中のすべての詩の本が亡びても、 私には一冊の聖書があればすこしもさびしいことはありません。」などという内容の小文「聖書」を寄稿する。 東葛飾中学校での最後の授業で「キリストの再来を信ず」と言い放って去る。5月、神奈川県茅ヶ崎市の南湖院に入院する。 病院から頻繁にとみ宛に「神と人とのために、私ももっと生きていたい、そして『本当の生活』を送ってみたい、桃や陽二はどうした、病気をさせるな、 先日あんまりハッキリ桃の顔を夢に見て泣いた(5月24日)神の心に充たされた生活をしたい為め、―私は努力して治ろうと心がける、 しかし、時々私の心は滅茶滅茶に砕かれてしまうよ、私は病に打ち勝とうと、又、本当の信仰を得ようと、 私に残された全力をつくしている(5月27日)」など、手紙を出す。病床ノオトを書き始める。7月、家族を千葉県柏市から呼び寄せ、 茅ヶ崎市十間坂に家を借り、自宅療養に入る。9月25日前後、旧師富永徳磨に宛てて「放蕩児の帰りしと思ひ来り教へ給へ」との手紙をとみに書かせる。 10月2日、富永徳磨が重吉を見舞う。重吉はかつて無断で基督会を去ったことを詫びた。 富永はヨハネの福音書15章「イエスはまことのぶどうの木」を贈り、励ました。
 この後、耳下腺炎、腹痛など余病の併発に苦しみながら、1年以上の闘病生活を続ける。 冬に入ってから第二詩集『貧しき信徒』を自選し、出版に備える。この年は自編した手製の小詩稿集は5冊で最も少なかった。

 29歳。1927(昭和2)年10月、危篤が告げられ高熱の中で十字を切る。キリストの姿を見たしぐさをする。10月26日午前4時30分、 とみの名を呼びながら召天する。残された家族は妻とみ22歳、桃子4歳、陽二2歳であった。

 

八木重吉詩選抄

次の6項目に分けて選びました。

1、聖書・キリスト

  ○
この聖書(よいほん)のことばを
うちがわからみいりたいものだ
ひとつひとつのことばを
わたしのからだの手や足や
鼻や耳やそして眼のようにかんじたいものだ
ことばのうちがわへはいりこみたい

  ○
きりすとを おもいたい
いっぽんの木のように おもいたい
ながれのようにおもいたい

  基 督
キリストを仰ぎて黙す
けわしい路をおもう
キリストにつかまろう
キリストにつかまろう
ふりはなされてもふり離されても
つかまろう

  解 決
基督が解決しておいてくれたのです
ただ彼の中にはいればいい
彼につれられてゆけばいい

 

2、信仰・祈り

  信 仰
基督を信じて
救われるのだとおもい
ほかのことは
何もかも忘れてしまおう

  十字架
十字架は 悔いへのくさびである
罪ふかくして悔いを完うし得ぬ者へのめぐみである
何人でも仰ぎさえすれば救わるるという約束である
基督を見し者が信じたる福音である

  
ゆきなれた路の
なつかしくて耐えられぬように
わたしの祈りのみちをつくりたい

  称 名
わからなくなった時は
耶蘇の名を呼びつづけます
私はいつもあなたの名を呼んでいたい

 

3、自然・人生

  
草をふみしだいてゆくと
秋がそっとてのひらをひらいて
わたしをてのひらへのせ
その胸のあたりへかざってくださる
ようなきがしてくる

  原っぱ
ずいぶん
ひろい原っぱだ
いっぽんのみちを
むしょうにあるいてゆくと
こころが
うつくしくなって
ひとりごとを
いうのがうれしくなる
   (詩碑 千葉県柏市・東葛飾高校)

  
花はなぜうつくしいのか
ひとすじの気持ちでさいているからだ
   (詩碑 愛知県西尾市・みどり河畔)

  ひびいてゆこう
おおぞらを
びんびんと ひびいてゆこう
   (詩碑 愛知県西尾市・八ツ面山)

 

4、心・美しいもの

  心 よ
ほのかにも いろづいてゆく こころ
われながら あいらしいこころよ
ながれ ゆくものよ
さあ それならば ゆくがいい
「役立たぬもの」にあくがれて
はてしなく
まぼろしを 追うて かぎりなく
こころときめいて かけりゆけよ

  うつくしいもの
わたしみずからのなかでもいい
わたしの外の せかいでもいい
どこかに「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であっても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るということが 分かりさえすれば
ああ ひさしくも これを追うに 
つかれたこころ

  美しくすてる
菊の芽をとり
きくの芽をすてる
うつくしくすてる

 

5、家族・故郷

  
私が三月も入院して
死ぬかと言われたのに
癒って国へ俥で帰りつく日
父は凱旋将軍のように俥のわきへついて歩いていた
黒い股引をけつっきりひんまくって
あの父をおもうとたまらなくなる

  母の瞳
ゆうぐれ
瞳をひらけば
ふるさとの母うえもまた
とおくみひとみをひらきたまいて
かわゆきものよといいたもうここちするなり

  ふるさとの川
ふるさとの川よ
ふるさとの川よ
よい音をたててながれているだろう
   (詩碑 町田市相原町・相原幼稚園)

  ふるさとの山
ふるさとの山をむねにうつし
ゆうぐれをたのしむ

 

6、病気・死

  
虫が鳴いている
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いている
しぜんと
涙をさそわれる
   (詩碑 茅ヶ崎市・高砂公園)

  死は おそろしく
死は おそろしく
死は なつかしげなる
初恋の ひとの
乳房に 似るか

  キリスト
病気して
いろいろ自分の体が不安でたまらなくなると
どうしても怖ろしくて寝つかれない
しかししまいには
キリストが枕元にたって
じっと私をみていて下さるとおもうので
やっと落ち付いて眠りについた

  
在天の神よ
この弱き身と魂をすくいて
神とキリストの光のために働かせてください 

 

苅部幹央兄 玉稿を感謝。修子夫人誌面製作を感謝。 苅部ご夫妻は神奈川教会において忠実な信仰と奉仕の生活を送っておられます。(滝沢)