No.9 2008年6月
使徒書と福音書
滝沢 陽一
問題意識
「使徒書(使徒言行録を除く)には、どうして福音書に描かれている地上のイエスの姿が見られないのか」
これはT兄から寄せられたレポートの主題である。そしてこの問題は現在のキリスト教学におけるキリスト教の本質にかかわる重大な問題の一つであり、 わたしが年来、頭の中に置いてきたものであり、書物などは買ってはいたが、論ずる力も全くなく、残念ながら今日に至っている。
T兄とはわたしが初めての主任牧師として赴任した教会に、その頃九州から上京し、転入会した兄弟で、転勤で各地の教会に変わったりしたが、 現在は定年退職、神奈川教区内の教会の役員として変わらぬ忠実な信仰生涯を送り、また研究熱心な方であり、信仰の交わりは五〇余年に及ぶことになる。 時折、神学、聖書学上の問題提起の手紙を寄せられるのであるが、もちろんわたしに明確な解答ができるはずもない (最近は、未受洗者の聖餐式陪餐の可、不可の問題を提起されていた。T兄が前に数年属していた教会の牧師はこれを行って教団から牧師辞任勧告をされ、 あるいは除名処分を受けようとしている。)。
今回のT兄の提起された問題は最大、根本の問題である。キリスト教もしくは教会はイエスから生まれたのか、ペトロかパウロからか。 「史的イエス」、歴史上の地上を歩まれた「人間」イエスはどのような方であったのか (イエスがマグダラのマリアと結婚されたとか、子供もいて家族の墓も発見されたとか、俗説は後を絶たない。)。 次々と問題提起があり、論じられているが、今回は一信徒の眞撃な研究と問いかけを紹介するに留めたい。
滝沢 陽一先生
聖霊降臨の佳節をご恩寵のもとにお過ごしのことと存じます。またもや長い歳月をご無沙汰いたしております。
毎度「ぶどう園通信」お送りいただきありがとうございます。
大変に遅ればせながら、ご隠退後再度の牧会を終えられましたこと、まことにお疲れさまでした。少しはごゆっくりなさるお時間がおとれになりますでしょうか。 手術をなさったのこと全く存じ上げずお見舞いも申し上げずに失礼をいたしました。
私も歳だけは人並みに重ね七三になりました。勤め先を定年退職して一一年になります。一タラントンを神から預かりながら、 土に埋めたまま人生を終わろうとしていることを思いますが、反面、そのような思いを持つこと自体が地に足がついていないことを示していることになりますでしょうか。
そのような私が、さきに、「福音書に描かれたイエスの姿が使徒書に見みられないことの不思議」について、 つぶやいたことに対して、だれひとりまともには聞いてくれない中で先生だけが何冊もの図書をお送りくださった上「研究せよ」と仰言っていただき勇気づけられたものの、 勉強のしかたも知らず、未だに「問題意識」で止まり前進しておりません。しかし頂戴した本をはじめとして、 ある程度の参考図書を読んだ限りにおいて自分なりに考えていることもありますので、それらを別紙によって中間報告的に申し上げ、 決して放棄しているのではない証とさせていただきたく存じます。
できるだけ早い機会に読んだ本による出典などを再点検して明記し、自分なりの推論にまで至ればとは願いますものの、 無学非才の身とてすぐに限界を知ることになるかと思います。(先ずギリシア語原典を読むことができないのは致命的かと)その場合は問題意識を 自分なりに少しでも展開しようとした過程をよしとせざるを得ません。「中間報告」について事実や方向性の誤りなどご指摘いただければ幸甚に存じます。 自己撞着に陥っており、同じことを違う言葉で言い換えて徒に文字を連ねた悪文でお読みになりにくいことを前もってお詫び申し上げます。
(以下、略)
(中間報告)
問題意識
使徒書(「使徒言行録」を除く*)には、どうして福音書に描かれる地上のイエスの姿が見られないのか。
*「使徒言行録」はルカ福音書の続編であり、記録書・報告書であるので、 前編であるルカ福音書の記事が繰り返されなくてもよいと一応は言える。 しかし、ステファノの説教、パウロの説教あるいはエチオピアの宦官に対するフィリポの説き明かしなど宣教内容を順序立てて説く場合でも 地上のイエスの言葉や業については何も語られていない。
▼ 人は言うかもしれない。「使徒書の多くは福音書よりも先に書かれているのだから、使徒書に福音書のイエスが描かれていなくても不思議はない」と。 だが、そうではあるまい。使徒書最古のものとされるテサロニケⅠ、Ⅱ書やガラテヤ書(五〇年代)などと福音書最古のマルコ福音書(六〇年代終~七〇年代初)の 書かれた年代は最大でも二〇年も違わない。使徒書が書かれたとき、現今の福音書は書かれていなくても、 その元となった「イエスの語録」や「物語」が文書または口承として存在したと言われている。それはつい先ごろのことがらとして、生き生きと語られたはずである。
またマルコが知らずマタイとルカが福音書に取り入れられたQ資料は、現物は見ることはできないがその存在が確実視されているし、
さらにこれらの資料のほかに、さまざまなヴァリエーションを持った地上のイエスについての伝承が当時存在したといわれている。にもかかわらず、
そのイエスが使徒書に登場していないのはなぜであろうか。
わずかに使徒書に描かれる地上のイエスの姿として「聖餐制定語」(Ⅰコリント一一:二二以下)がある。
ここには「パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き・・・」とイエスの動作までが具体的に描かれている。
そのほかには(ヘブライ五:七)の「キリストは肉において生きておられたとき、はげしい叫び声をあげ、涙を流しながら、ご自分を死から救う力のある方に、
祈りと願いをささげ」や、Ⅰテモテ三:一六の「ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証をなさったキリスト・イエス」などがいくらか具体的、
動作的であるくらいである。
▼ 使徒書に記されている地上のイエスは、おしなべて受難のイエスである。 使徒信条としてわれわれに残されている信仰の告白においても「おとめマリアより生まれ」から「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」に飛ぶのであり、 人々を教えるイエス、病人を癒すイエス、ファリサイ派やサドカイ派の人々と論争するイエスなどの姿は全く述べられない。
使徒パウロがⅠコリント一五:三以下で、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 葬られたこと・・・」と言っているのは当時すでに定型化されていた礼拝における信条文あるいは賛美歌の引用であると言われ、 イエスが死んだり、葬られたという史的事実の証言をしているわけではない。使徒パウロはコリントの信徒への手紙で再度にわたり、 「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた。 Ⅰ二:二」「わたしたちは今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉にしたがってキリストを知っていたとしても、 今はもうそのように知ろうとはしませんⅡ五:一五」と述べているが、 あたかも私が問題としている使徒書に福音書のイエスの姿がないことを裏書きしているかのようである。 このことはパウロ以外の人の手紙、またパウロの名によってパウロ以外の人が書いたとされる書簡においてもまるで約束ごとででもあるかのように、 教えるイエス、ユダヤ教の枠内で問題を提起するイエス、病を癒すイエスなどはとり上げない。
パウロ以外の著者によるものとして聖書に収められているヤコブの手紙、ペトロの手紙Ⅰ,Ⅱの手紙の著者が自らの使徒性を、 パウロがそうしたように主張しながら語る上で地上のイエスと共にあった日々を語ることが説得力を持つと思うが、これもパウロ同様、 宣教の上でかえって妨げになるのであろうか。たまたまその手紙で触れていないのであって地上のイエスについては自明のことであったいう抗弁も成り立つかとは思うが、 これらの手紙を読むときに感じる「印象」ではそのように思えない。これらの手紙はヤコブおよびペトロの真正の書でないことは定説のようであるが、 この場合はそのことが地上のイエスと共にあった日々を語ることができない理由であろうか。当然まだ新約聖書は成立していなかったので、 旧約聖書のように「引用」することは難しかったかも知れないが、すでに文書、口承によって原始教会、初代教会(以下、初期教会という。) の人々の知るところであれば、諸書簡の著者は人々とを訓戒したり激励したりするにあたって地上のイエスの言葉と業を少しは用いてもよさそうなものである。
それとも今日われわれが、教えるイエス、問題を提起するイエス、病を癒すイエスのことばと業を信仰内容としているようには初期教会はしていなかったのであろうか。 パウロの言う「十字架につけられたキリスト以外、何も知ろうとはしない。」ということばを文字どおり読むとしたら、 当時の人々は地上のイエスについての証言なしにナザレのイエスの十字架と復活がわたしたちの救いであることの告白ができるであろうか。 わずかに使徒言行録におけるペンテコステ後のペテロの説教が生前のイエスと十字架と復活のキリストをつなぐ。
無論、ブルトマンに待つまでもなく先述のように福音書に描かれる「イエス」はイエスという人名で呼ばれてはいても、 それは史的事実としてのイエスその人ではなく、告白されたキリストではあるのだが、そのキリスト信仰は史的イエスの生と死に依拠しているものと言えるはずである。 「ブルトマンの弟子」と呼ばれるブルトマン後の実証主義的な神学者は聖書の記事を手掛かりにして史的イエスの姿勢や宣教活動のありようを推察している。
▼ 私はこの問題を考察するにあたって、福音書を読む信仰と使徒書を読む信仰は統合されているということを前提としている。
聖書を独りで読む前に、公礼拝において旧約聖書と並んで告げられる新約聖書の福音書と使徒書を統合されたものとして聴いている。
統合されたものとして受け入れながら、なおどのように統合されているものであるかを知るために個別の歴史、事実を知ろうとするのである。
これまでの乏しい学びでは私の問題意識すなわち「使徒書には、
どうして福音書に描かれる地上のイエスの姿が見られないのか」ということに直接答えてくれる説明を見いだしていない。
加藤 隆は次のように言う。「十字架の神学を重視するパウロの立場については、パウロの書簡が重要である。しかしパウロの書簡では、
イエスの十字架のことばかりが論じられていて、生前のイエスの活動や教えについては触れられていない。
パウロは故意に、生前のイエスの活動や教えについては沈黙したのである。しかしパウロの書簡においてもイエスのことが語られていることは事実である。
十字架は『イエスの十字架』であるからである。そこでイエスのことについてもっと知りたいならば福音書があるではないかということになる。
こうしてイエスについての補助的な知識を得るために便利なのが福音書であるという位置づけになってしまっていた。」(福音書=四つの物語)
しかし、書かれた年代が福音書よりも古い使徒書は、のちに福音書が書かれることを前提として書かれたわけではあるまい。
イエスについての補助的な知識を得るための福音書といえるであろうか。
その上で加藤氏は「福音書の立場とパウロの立場は鋭く対立する。」という。さらに氏は受難物語・復活物語は福音書の物語の結論ではないとも言う。
イエスの活動のあらゆる場合、場面で、真っ直ぐ十字架を見据えてそれがなされたというのは信仰告白ではあっても史実とは違うように思う。
史実的にはイエスの受難は言動と活動の「結果」であろう。それはイエスのメシア意識においても同様である。
今日の実証主義的な神学者は十字架と復活のキリストを実存的に自らの救いとして認識することよりも、
ローマとユダヤ教主流の体制の中で「地の民」に視座を据えて戦いつつ生きたイエスの生きざまにより関心があるようである。
そうであればなおさら書簡文にはそのイエスの姿が描かれるはずだとは言えないであろうか。
それともそれは結局過去の自由主義神学に戻るものとして排されるのであろうか。
▼ 私は現在のところ
一.初期教会において地上のイエスの伝承は、それはすぐ近い過去のことであったにもかかわらず、
否そうであるからなおさら権威あるものとはなっていなかったのではないかという疑いと、
二.生前のイエスの言葉と業を知ることなしに十字架と復活のキリストを自らの救いとすることができるか、
という相反するテーゼの間を行きつ戻りつしている。
二〇〇八.五.一四(未完)
