ベストピア
月刊ベストピア

2011年7月号 特別寄稿

東日本大震災・被災地を巡回診療報告

 医療界では早くから被災地に医師・看護師を派遣し、一般の人が出来ないケアーをされています。病院の機能も麻痺した中で手当の必要な方々の不安はいかばかりと心を痛めている医療従事者の働きはとても貴重なものです。
 各都道府県からの多くの支援をされていますが、私がお世話になっています富山県の高岡整志会病院からも医師・看護師(2名)・事務長さんたちが現地に行かれ、その惨状をつぶさに見られ活動されました。 看護師さんの体験レポートをいただきました。ここに掲載し思いを共有したいとおもいます。以下の記事は主任看護師西本いずみさんの筆によるものです。

<特別寄稿>

避難所を巡回して

 高岡整志会病院 西本いずみ

 震災支援活動に参加し、2ヶ月が経ちました。忙しい日常生活に戻り、被災地での色々を忘れる時間が多くなってきた今日この頃です。今回の依頼を機に、今一度振り返り、私の感じた事を文字にしてみます。
 4月16日、私達はいわき市に向かい車を走らせました。郡山を過ぎた頃、所々の民家の屋根に、青いビニールシートが被せられている事、高速道路が小さく隆起している事、 見たこともないような自衛隊の震災車両やタクシーが何台も走行している現状に、震災の物々しい雰囲気を感じました。いわき市内は一見通常の生活が始まっているように見えましたが、 物資の不足から販売内容の制限や閉店しているところもありました。道路は、ひび割れや、陥没、隆起が見られ、至る所で工事や、速度制限もされていました。
 避難所の巡回診療は、4月17日から20日までの4日間行いました。7から9ヶ所を巡回し、約120名の方に診療を行いました。 被災後すでに1ヶ月を超えているにもかかわらず余震が続き、昼夜問わずに数回の揺れを感じました。夜も目が覚めます。高岡で生活する10年分ぐらいの体験ではないかと思いました。 巡回中の体育館で余震が起こったときの、被災者の方の困惑振りを目の当たりにした時、3月11日という日が、いかに悪夢の日であったかを想像させられました。 避難所は、少しずつ環境が整備されているように見えましたが、衝立もない避難所も多く、プライバシーの確保もままならない状態、体育館では底冷えもします。 布団1枚分のスペースが生活の全ての場所になります。診療の際、そこへ足を踏み入れる事に私は抵抗を感じ、なるべくスペースに足がかからないようにし、仕方ない状態の時は「あがっても宜しいですか?」と、声をかけて確認をしました。 日に何組もの支援団体が訪れ、被災者の方々に声をかけ、診療を含めたボランティアを行うのですが、ふと「夜も眠れずにいる方に、突然次から次と声をかけられて、本当は迷惑な部分もあるのではないか・・・?」と、 そんな葛藤も頭をよぎりました。中には、「子供は本当は大好きなんだよ。だけど、今はうっとおしく感じてしまうんです。」と話す60代の男性もいました。肉体的にも、精神的にも疲労が蓄積されているようでした。 そんな中でも反対に感謝の言葉をかけていただき、申し訳ない気持ちと、あふれる優しさに涙が出ました。 初めは、巡回診療の要領に慣れるのが精一杯でしたが、同じ場所を毎日巡回すると、被災者の方とも顔なじみになり、個人的な内容に触れる会話も増えていきました。 原発の為に避難してきた人、一人暮らしが怖くて避難してきた人、津波の影響で家に住むことが出来なくなった人、どの方の話も心が痛みました。話を聞くだけで、何も出来ない無力な自分に、情けなさも感じました。 今でも気にかかる70代の男性がいます。彼はどうしているのだろうか?家に戻ることが出来たのだろうか?私にポツリポツリと話してくれた、自分の身の上話。たった数日間の支援で訪れたいわきは、離れる日が少し重たいものになりました。
 支援活動の中、津波の被害が特に大きかった地区を訪れる機会がありました。その日は、天候が悪く、雨が降り、風も吹く肌寒い日でした。驚きました。声も出ないほどでした。 何もかもが無くなっていました。映像では見ていましたが、自分の目に焼きついたものは衝撃が大きく、想像をはるかに超えるものでした。自然の力を恨みました。
 高岡に戻ってきてからというもの、新聞の1面に掲載されている地震被害状況の枠を毎日眺め、また放射線量はどうなっているのかを気にし、名前も知らない亡くなられた方々の掲載面を見ながら、支援活動を思い出します。 今では、1面に掲載されなくなりましたが、毎日死者は増え、反面行方不明者は減ってきました。そして、現在も避難者は11万人を超えています。誰もが口にする言葉ですが、自分達の日ごろのあたり前の生活が、いかに幸せであるか。 周りにいる人達がどれほど大切な人であるか。改めて感じる機会を与えてもらった時間でした。
 いわき市は本当に美しいところでした。民家の庭にも、道路にも、山にも至るところに桜の木が咲き乱れ、小高い丘から眺めれば、美しい海が見えます。 一刻も早くいわきが、また震災を受けた地が、復興されて普段の生活を取り戻せるようにお祈りするしだいです。そして、何らかの機会を見つけて、必ずもう一度いわきを訪れるつもりです。

高岡整志会病院 西本いずみ

西本いずみ姉へ 投稿の御礼

 現場の臨場感が身に迫ってくる体験談ありがとうございます。

[1] 「高岡で生活する10年分ぐらいの体験」という文は貴姉ならではの感性です。
感じたことを文章にするのは大変難しいことですが見事な表現です。

[2] 「診察の際そこへ足を踏み入れる事に、私は抵抗を感じなるべくスペースに足がかからないようにし、仕方ない状態の時は、『あがっても宜しいですか』と声をかけて確認しました。」
 日頃の行動が極めて具体的に、限界状況でも出ている名文です。ここまで看護師さんは身につけていることを知り、これぞ「魂ある専門人」の心だと感心しました。

[3] 更に「個人的な内容に触れる会話も増え---自分の身の上話、私にポツリポツリと話してくれました。---たった数日間で」
 心のケアーをされたのです。チームの皆さんの暖かい支援を深く感じる文です。

[4] 「高岡に戻って---新聞---面に掲載されなくなる」「美しい街、いわきの復興を祈る」
 現実に戻り客観的な判断もきっちりされています。日ごとに忘れられていく切なさが伝わります。大切なのはこれからなのですが、問題のプライオリティがつかないのが今の政治家です。

 しかし、[1]から[4]へ一貫した美しい感情のながれ、清い水の流れを感じます。
 有難うございます。

おはら やすお