ベストピア
月刊ベストピア

2011年5月号 特別寄稿

 中小企業診断士 小原正夫

減価償却の思い出
 (中国の将来と経営の危機管理としての減価償却) 

 1980年代の始め一世を風靡したセゾングループで、当時としては画期的なコンストラクション・マネージメント(CM方式・建設総合管理)の実務に従事しつつ、中小企業診断士の受験をこころざし会計を独学で学び始めました。 財務管理という受験科目があったためです。8科目の受験科目の中で一番難しい科目ともいわれていました。
 この独学の時一番苦労した概念が「減価償却」でした。その他の概念はお金の流れとして具体的に追うことが比較的容易でしたからあまり苦労はありませんでした。 複式簿記を理解したつもりでいざ「減価償却」に挑むのですが、最初お金の流れが全く見えてこなかったことをよく覚えています。 「内部金融」と説明されており、「再調達」という考えも見え隠れしていましたが、実務はよくわかりませんでした(しかし一回で中小企業診断士試験には合格して現在にいたっております)。

 減価償却ではおもしろい経験をしました。
 1980年代の半ば開放前の中国上海政府から当時のセゾングループに、上海に1000室のホテルを建設してほしいという依頼が舞い込んだのです。 セゾングループトップは、まず先遣隊を送り彼らの要求内容をつかもうと試みました。1ヶ月後要求の内容が概ねわかった時に財務の専門家と建築CMの専門家としての私が交渉の本体として送り込まれることになりました。
 1000室のホテル計画を現地で企画立案することが求められていました。「持ち帰って検討します」が通用しない仕事です。
 私は商業施設の専門家であったため、私自身の出身母体であった竹中工務店から1000室のホテルの設計上の概要の緊急講義を受け、いくつかのタイプを準備して、急ぎ上海に向かいました。 建築CMの専門家であり、中小企業診断士でもあることで会社から信頼されたのです。
 上海での宿舎は和平飯店でした。開放前です。ホテルは暗くて朝食のパンが大変まずく、エレベーターの階数表示は常時でたらめ。また和平飯店の半分には住民が住みついていたのには大変驚きました。 延べ55泊したので、「上海の55日」と勝手に洒落こんでいますが、この交渉の中で一番苦労したのが「減価償却」の説明だったのです。 というのは上海政府は20年経過後にホテルを接収することを条件としていたためで、それでは我々は減価償却が出来ないと何度も説明するのですが、単年度単式経済の彼らにはその概念がほとんど理解できませんでした。
 まず、「償却」には、資産の原価を将来に渡って費用配分する、という意味があり、会計上では、特に有形固定資産(Tangible assets)への投資を償却することが「減価償却」(Depreciation)であると説明し、 今回建てる建物は約40年位かけて減価償却を行うので、少なくともそこまではセゾングループの所有でないとプロジェクトに応じることはできない。 減価償却費は当然一般管理費であり、総利益から控除することは日本の税法上も認められている常識だと説明しました。

 反応は3つありました。
 第一に上海側の人々は「20年でしこたま儲けて帰ればいいのさ」といいつつ、一年に日本に送金出来るのは2万元ですともいいながら、「ところで減価償却って何?」ときょとんとしています。
 2番目は「それは利益隠しではないのか?」という反応です。建設会社には投資全額が支払われるから、そのお金はただちに社会に流通するのだし・・・という感覚でした。
 3番目は中央から派遣されてきた高学歴の優秀な方々の反応です。開放後に役職についた若くて優秀な方々で、 「原価の長期的な費用配分」が社会的規模での会計上の実際の利益と損失にそぐわないので、マクロ経済をゆがめるのではという指摘を受けました。 2番目の反応とも呼応しているようでした。しかし、マクロ経済はもう私の扱えるお話ではないので、急きょ「減価償却は再調達のための会計措置」であると言い換えることにしました。 そのことを促進するために税制の優遇が行われるのだと・・・。
 これこそ一番ビューティフルな資本主義のあり様ではないかと勇敢に「演説」をはじめました。まさに冷や汗ものではありますが演説はどうしても必要な手続きなのです。 しかしその時も「接収」という予定された行為を挟んで減価償却をどう位置付けるか60人の議場は理解の度合いと利害の違いが絡んで大変な混乱状態だったことを覚えています。

 中国と交渉された方だとご理解いただけると思いますが、中国との交渉で主張したり、主張を変更したりするときは「堂々たる演説」、たとえば「そもそも資本主義とは」から始まる演説が必須です。 私はマクロ経済を語りだした我々の先遣隊も含め「日中の優秀な方々」を相手に勇敢にも演説を開始しました。(私は建築CMの専門家であり、中小企業診断士にはなりたてで深いことはよくわかっていませんでした。)
 私は演説します。「あなた方が呼んだのは誰か?日本なのか?いや違う。セゾングループを呼んだのだ。ゆえに、あなた方はまず第一にセゾングループのことを考えなくてはならない。セゾングループは国家ではなく、一企業だ。 ゆえに、一企業としてのセゾングループの繁栄がなければ今回のプロジェクトも成立しえない。だから、減価償却期間セゾンはこのホテルを当然セゾンの所有とし、そこから上がるすべての利益は減価償却を含めてセゾンに帰属すべきなのである。 セゾンを繁栄させないかぎりあなたがたの繁栄はありえない。」と勇敢な演説を行ったのです。
 この主張には実は裏がありました。日本を出発するとき当時の高丘会長から「交渉は最後の最後まで友好理に進めなさい。 しかし、最後の瞬間に決裂させるように、なぜならインフラが追いついていない中でのホテル経営は無理がある。中国にはもうしばらく時が必要なんだからね。 『正義の内』に『相手が飲めない条件』を探し出すように」と指示を受けていたのです。交渉の先遣隊の方々は高丘会長の指示は知りませんでしたので、 さらに短い「15年後に接収する」という条件をのみかけていたのですが、これを「減価償却理論の正義」で私は日中をともに否定したのです。
 ところが不思議なことに仲間の先遣隊の主張と中国側の主張を同時に否定したことが「功を奏して」この交渉は自然に決裂へと進んでいきます。 彼らは何かをつかんだのです。中国との交渉ではこうした「自分の骨も切る」という切羽詰まった考えとそれを跳ね返す演説(正義)が必須であることをやっと理解することができたのです。
 このプロジェクト結局実現しませんでした。早すぎたのです。北欧の国がこの計画を受けたと連絡を受けましたが、インフラの整備はもうどうしようもない状態で計画はいったん延期になってしまいました。
 そして、その後の中国の旺盛な設備投資をみるにつけ、現在の中国の減価償却はどうなっているか気になってしかたがありません。 国を危うくすることはないのでしょうか?投資が止まるとき、つまり経済成長がとどまるとき中国はどう対応しようとしているのでしょうか?
 あるいは、交渉時の現地調査で訪れた、北京のある高層ホテルで、各階の防火扉がベニヤ板でつくられていました。なぜこのようなことをするのかと聞くと、 防火扉という概念がわからないので、形だけを真似たのだと日本側通訳に聞かされました。私は恐怖で凍りつきました。私は必ず5階以下に部屋をとるようにしました。その後の中国の建築基準法は、はたして万全なのでしょうか?

減価償却の正義について

 さて、その後さまざまな経験を積んでいきます。すると「減価償却」にとんでもない正義が含まれていることに気づきました。冷静に考えると当然なのですが、イメージがしにくい事態でありました。
 建築やプラントは自動車もそうですが数千から数万の部品が組み合わされて出来ています。これらを建築の場合BE(ビルディングエレメント)と呼びますが、これらのBEは生来の耐用年数をもっています。
 自動車は定期点検と車検によって、この問題を社会的に解決するメソッドを日本に定着させました。エレメント管理の成功事例です。
 建築は丹下健三先生が定着させた「建築のコアー」という考えかたの中でコアーの中に階段やエレベータの配置とともに耐用年数が短いパイプ類を縦に配置する「パイプスペース」や「エネルギーパイプスペース」が ビル建築の設計常識として定着してゆきました。PSやESと呼称も一般化しました。これはパイプの取り換えをあらかじめ想定しているもので、最も合理的なものは東海道線品川から見える品川プリンスホテルの宿泊棟のPSです。 PSが建築の外側に配置されています。これは部屋の窓が小さくても良いというホテルの宿泊室の特徴をうまく活用したものですが、 この減価償却を見据えた建築の外側へのパイプスペースの配置について当時の堤 義明社長が「これで最小限の工事でパイプの交換が可能になる」と何度も話されていたと聞き及んでいます。 堤社長が総合CM(コンストラクションマネジャー)だったのですが、このように経営と特に大型の設備投資とを同時に思考制御できることが経営者の役割であるように思っております。

 最近生じた福島原発の事故のニュースを見ていて、原発は「プラント」として設計されていて、全体が建築になっていないことに気づきました。

 そこで最近事故を起こした福島原発を事例に減価償却へのまじめな感覚がないと経営危機を将来してしまう構図を少し考えてみましょう。
 まず気づくことは、爆発してはじめて内部を見て気づくのですが、原発の5重の安全への壁の最外殻がいとも簡単に崩壊したことの重大さです。 この構造では基本的に、5重の壁の最外殻を守ることは難しかったように印象し、それ以降ニュースに傾注するようになりました。
 最近(4月12日)おこっている高濃度汚染水がタービン立屋とトレンチに満ちているという事態は、それらの配管や弁が原子炉よりはるかに耐用年数の短い、減価償却期間も短いエレメントで成立しているはずであり、 それらを耐用年数が来る前に何度か新品に交換することで、原子炉が本来もっている耐用年数、おそらくはその減価償却期間にみあった性能を維持することができるようになるのです。
 これは不思議なことですがどの教科書にも書いていない減価償却のもたらす重要な役割だと私は50歳を過ぎて気づいたのです。 再調達ではなく、既存の性能を維持するために減価償却に見合った改善投資を行わないと、人間がつくったものはすべて滅びてゆくのです。 その建築が60年機能するとして、最初の投資の25~50%以上の金額をその間に改善投資しないと、 その建物は建物としての減価償却期間を全うできないことを経験上知ることができたのです(遊園地などでは当初投資の10~20%を毎年改善投資に回さないと滅びていくことが確認されています)。
 こうした風潮が社内にある場合、建設のCMは働きやすくなります。同じ改善するなら配管を守るために配管ルートを山側に移し、それらを建築の配管スペースにいれ込もうと改善提案出来たりします。
 あるいは新たな断層が見つかった段階での津波の予測などCMにとってはいとも簡単な思考と提案作業です。彼らは1000年くらいさかのぼるのは平気です。 ですから平安時代の貞観津波がマグニチュード9クラスであったことなどいとも簡単に見つけてきます。これは2007年の地質学会で発表されている情報ですから。
 しかし、この報告を受けた経営は心が凍りつきます。その時津波は何メートルになるのかと誰もがCMに質問することでしょう。 福島原発の全体写真を見ると、海と実に仲良い関係の想定がなされていることに気づきます。経営は聞きます。何が不十分なのか?その改善策は?複数の回答はあるだろうね、そして実際対策にいくらかかるんだ、 いやそもそもそんな地震はくるのか?と質問が続きます。
 社内のCMは答えることでしょう。
 津波は10mを超えるでしょう。しかし、正確にはわからない。ゆえに津波があがってきてもシステムが維持できる方法を改善提案したいと思いますと・・・そして減価償却積立金は○億円に達しているはずです・・・と。
 つまりこの程度の改善提案は、流行のものをつくっているシステム等では日常のことですし、減価償却の範囲内ならまあいいかという雰囲気さえあれば、実はすこしはみ出しますという改善提案も、 もっていきよう一つで日の目を見たりします。
 大前研一郎氏は原発の中には小型の火力発電所を設けるべきと2007年ころから主張されていますが、こうした案も減価償却へのよき感性さえあれば、十分検討できる改善案のように思います。
 何よりも驚いたことは、津波でます非常用電源の燃料タンクが失われたことです。次に水素爆発による建物の崩壊状態です。 建物については5重の壁にするため、最初の投資で全てが完成するわけではなく、改善投資を継続することで、段々に「本来の性能」にもってゆくことが現実的なメソッドだと思っています。
 また、燃料タンクはこうした建築の壁の改善に組み合わせて、その壁の中に組み込んでゆくことも考えかたとしてはありうると思います。むろん防水型の採用になりますが。
 原資はどこにあるのか・・・それは減価償却にあるのです。減価償却は、そのシステムの当初の性能を周辺環境が変化しても当初のまま維持するための社内の共通の原資であるべきなのです。 社会の変化や価値観や考え方は昨今激しく変動します。長く使うシステムであればあるほど、減価償却を原資とする改善提案を快く聞くという経営が必須になっていくのだなと推察しております。

 独学の当初「減価償却は内部金融」と本から学びました。そしてそのことは意外に正しかったようにも思っています。人間の作ったシステムは必ず「老齢化」しますから、 当初の生産力を何十年先にも同じ効率でもち続けることはできないし、福島原発のようにいったんトラブルと耐用年数の違いや、メンテの違い、そもそものエレメントの接合組み合わせの不備などからみあって 、実に複雑な「事故現場」を創り出すことを今回私たちは学んでいるように思っています。 
 会社の重大なシステムは、常に改善投資状態を維持し、減価償却積立金を原資として共有化しつつ、経営の俎上に載せ続けることが大切だなと実感しております。

  中小企業診断士 小原正夫