ベストピア
月刊ベストピア

2010年 5月号 第279号

1.大切にしているもの

(1)Time is Money

 気づきのセミナーに参加すると「私が一番大切にしているもの」は何かをテーマにして、自己紹介をする場面があります。 これはとてもいい試みで必ずその人の価値観が出てきます。咄嗟にこのテーマに沿った自己紹介できる人は多くはありません。
 気づきのあるリーダー、他人を本当に大切にできるリーダーは少し違った言い方をします。
 「私が大切にしているものを三つあげて自己紹介してください」といいます。一つに限定しないことで、相手に自由と時間を与えます。一つに限定すると、混乱したまま真実なことが出てこないことが多いです。 三つ考えるのに時間の余裕が出ますので、その人が本当に大切にしているものが湧き出してきます。
 私はセミナーのリーダーの資質を見分けるのに、そのリーダーがどんな質問の仕方をするかに視点を置いています。自分がその問いを発せられたらどう対応するかを考えておくのが、リーダーの大切な役割です。
 さて、前置きが長くなりましたが、私の答は「時間」です。Time is Money. と言われますが、Time is Life. なのです。 Lifeを日本語に訳しますと[1]生活[2]人生[3]命となります。生活は命が湧き出ている動きであり、その動きの連続が人生です。そしてこの世で体験できる命は有限であるといわれています。 この有限の命が生きるために必要なのが場で、命の動きを感じとるに必要なのが時間です。
 こうみてくると、時間と空間は命にとって同時的に必要なものになってます。すなわち「宇宙」(宇:天地四方、宙:古往今来)の中で命が生きているわけです。時間を大切にするということは、とりも直さず命を大切にすることになります。
 私は社会生活でとりわけて大事なことは「他人の時間を犯さない」ことだと考えています。自分の時間を大切にするのと同様に、他人の時間を犯さないという生き方をしてきました。 69年の歳月をかけて、そのことの善なることを体験している毎日です。

(2)ぜいたくな時間

 私は今、8月22日の社労士の試験の合格を目指して多くの時間を費やしています。目標日までの時間が短くて(足りなくて)、工夫をしていますが、先日ストップウォッチを買い求め、 一問何分何秒で解答できるかということを始めました。正解できた時は、ヤッターと言って実に楽しく誠にぜいたくな時間を過ごさせていただいています。無駄な時間はもったいないと感じます。
 この試験勉強はさておいて、加齢と共に時間が速く感じられるなはなぜかを考えました。
 その原因は[1]「間(あいだ)のことを忘れる」ことが増えていると、[2]日常生活の一挙手一投足により多くの時間が必要になっているためと考えます。 「間(あいだ)のことを忘れる」ことは一週間の時間の速さによって語ることができます。連続テレビドラマを見ていると、昨日の続きのように感じ、5日間が脱落しているのです。この頻度が増えるのが誰も避けられない加齢現象です。
 「日常生活の一挙手一投足」の時間がスローになっているのは、瞬発力がなくなっていることと、二つ以上のことを同時にすると両方ともうまくいかず、イライラして次のこともうまくいかなくなるということを繰返しているということです。 そんな加齢現象を百も承知の上で日常生活に役立たない試験に向って準備ができるのは「ぜいたくざんまい」以外の何ものでもありません。
 しかし、何とかかんとか言っても、10科目を頭に詰め込むのは私には至難の業、時間がどんどんたって、時間がわからなくなって気づいたら数時間がアッという間に過去になってゆくのです。 思った成果も上げられず、時が刻々と迫ってくるのは一種の恐怖感です。しかし、幸いなるかな人には知恵の泉が与えられており、工夫という業が着火します。 何を捨て何に集中するかという戦略(選択と集中)をせざるを得ず、戦略を立てると新しい希望が出てきます。
 「望み希し」はあれもこれもと迷わない単純なところから生まれてくるように感じます。

 試験要領を入手し、受験申込みも完了しました。要領を熟読すると午前中は10問を80分で回答する、1問8分です。さっそく試みてみましたら、4分で回答できた時は満点が取れます。 5分ですと80点、6分かかると40点となり、一科目でも40点があると不合格ということ、時間がかかれば不合格になる可能性が高くなります。
 午後は1問が5文章からなる70問(350問)を210分で回答せねばなりません。1文章にかけられる時間は30秒、1問を読むのに5分「読み直しをするな」というのが先輩方の体験談にあります。 いかに捨てるか、捨て迷うとその時点でアウトということになります。
 このスリリングな知的ゲームはドキドキして楽しいです。
 どれだけ丁寧な準備ができるか、丁寧な準備とは暗記ではなくて「常識化」(知識の定着)です。それは時間が要ります。過ぎ行く時をつかまえる工夫が最大限に望まれているところです。

(3)そんな時にヨーロッパ旅行15日

 6月1日から15日間、ベルリン、アムステルダム、ウィーン、パリと旅に出ます。「こんな時に!!」私自身もそう思っているのです。
 しかし先約を守らなければなりません。この旅は私が昨年の7月頃に提案したものを、良心的な音楽専門旅行会社が企画してくれたものです。10名集まったら行くことになります。
 ベルリンでベルリンフィルを、アムスではコンセントへボー、ウィーンではあの場でウィーンフィル、パリではパリ管とオペラ座という12日間の音楽ツアーです。 昼は当地の美術館をおもいおもいに自由に巡るという、勝手な旅です。指揮者も曲目も私に合ったものばかりです。
 旅のときにどのようなスタイルで学習をし続けるかを工夫しています。たくさんの本を持っていってもうまくいかないと思うので、覚えなければならないことをレコーディングしていきます。 繰り返し聞くということ(疲れると眠ってしまいますが)、過去問題集を2冊持参して繰り返し解答すること、早く起きて学習、夜はコンサートに集中、疲れたら美術館、さあ、どこまでうまくいきますか、 うまくいくようにどんな知恵が湧いてくるか楽しみです。6月号ベストピアは現地から送信したものを掲載しようと思っています。
 ヨーロッパは今、ギリシャ問題で大変なようです。ユーロを使って実感してみたいです。何にしてもドイツとフランスに滞在できることは、この時期として貴重な体験となります。
 これも又々ぜいたくな時間で何と幸せな人生、感謝の念が湧き出でる日々です。そして時の大切さを腹の底から実感している日々です。

 

2.チャイコフスキー 「悲愴」

 私の生活が全て無機質な社労士試験で占められている訳ではなく、月に2~3回は“みなとみらい”か“サントリーホール”に足を運んでいます。交響曲が好きでオペラは厳選して年に2回にしています。 過去にベートーヴェンの話は詳しくしましたので、今回は5月7日に聴いたチャイコフスキー交響曲第6番ロ短調Op74「悲愴」について少し触れてみます。
 この作品は1893年初頭から8月にかけて作曲され、10月28日に作曲者自身の指揮で初演されています。9日後の11月6日にこの世を去っています。 死因を云々することはよした方がいいと考えています。有名な曲ですから、多くの人々が知っておられますが、「CDで聴いたのでは判らない」ことが見ることによってその芸術的な哲学が判るという一曲だと私は以前から考えていました。

 第1楽章 かすかな音でCDではよく判らない(耳鳴りの私には)のが指揮者の動作とファゴットの呻きのような音で始まります。
 第2楽章 白鳥の湖にあるような優雅なワルツで悲愴の一局面(悲愴の中にあっても優しさは失っていない)を表している。
 第3楽章 テンポの速い勇壮な行進曲も少し入っている。
 第4楽章 なぐさめと希望を暗示するところから悲痛なクライマックスに達して終わる。このクライマックスの空間が私の大好きなところです。

 交響曲は何にしろ、曲が終ると、心ない聴衆は終わっていないのに我先にと拍手を送る。迷惑千万である。
 「悲愴」の指揮の良し悪しは、終った瞬間いかに長く聴衆に拍手をさせないかである。
 できれば拍手なしで終る「悲愴」が一番いいと私は思う。5分間位の静寂がただよえば、かそけき音が聞こえるはずである。かそけき音が聞こえた人から静かに去っていく、そんな聴衆参加の「悲愴」あってもいい。
 私は今回もどんな終り方をするか、願わくはなるべく長く無音であって欲しいと願っていたところ、終わりに入ったところで前方の客が咳をしたのである。まさに一巻の終わりである。

 指揮者はロシアの57才円熟寸前のユーリーバシュメット、「間違いなく当代随一の世界的音楽家の一人」とタイムズ紙が評しているほどに、新しい国立ノーヴァヤ・ロシア交響楽団の首席指揮者である。
 この日の前半は、ヴァイオリニスト諏訪内晶子さんとショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲第1番イ短調Op77を素晴らしい協演で指揮し、何と5度のカーテン・コールとなったほどです。 彼女の使用楽器は日本音楽財団より貸与されている1714年製のストラディヴァリウス「ドルフィン」であることは衆知のところです。
 この曲も人間の生と死をテーマにしたもので、彼女のもつ技術は人間の内面的かつ崇高さを表現している。40才という若さでここまで表現できるかというほどに素晴らしいものでした。
 5月29日(土)は私が苦手としているマーラー「復活」を妻と共に行くことにしています。2人で行きますと、その場で感想の交換ができるので一段と深い味わいができるのが芸術のいいところです。

 

3.歴史から学べないか

(1)今、ここをモットーに生きる

 日本の政治経済はもう論ずることはできないと私は考えています。現役時代を含めて、10年長期は大きな誤差なく予想してきました。親しい方からはよく褒められますが、本当は当たらない方がいいのです。 最近では「私は短期に弱いが長期には強い」「攻めには弱いが守りには強い」と言ってはばかりません。
 長期は人間の歴史をみれば判ることで、メソポタミア文明に先立つシュメール文明からみてきましたが、人類は同じことを繰返しています。そして大国は必ず滅んでいます。 日本が大国かどうかですが、アメリカの一部とみると間違いなく大国でしょう。
 そして終る者の使命は次を創り出す種を撒くことです。また、引きつぐ人の使命は、最小の犠牲で先の者を引退させることだと思い、私は5年計画で事業継承を実践しています。
 あと一年半で若い人にどこまで成長してもらえるか、その為には若い人を信頼して、年寄りは口を出さないことです。
 私のこの計画が終る頃、すなわち2012年1月からはじまる年が、世界的なターニングポイント、自然現象も荒れ始めていますから、神の意思は全くわかりません。 ですから毎日毎日の時間を大切に、たのしく生きて、健やかに和やかに前進する、悔いのない毎日を送ることが幸せです。

(2)終る者と引継ぐ者

 経営体をめぐっては、事業継承が進行しています。
 政界でも同じように老害が除去されているようですが、スムーズにはいきません。特に政治家の引きぎわは見苦しいものが多く、さわやかな引退というものがありません。執着欲に心が支配されてしまうのでしょう。 執着すると今まで築いてきた名誉というもの(自分が名誉と思っているにすぎませんが)も無くなってしまうということにも気づかないのです。 継承者が育っていないから、引退できないというのが大方の理由ですが、資質のない者を後継者にしたいというのも、一種の執着欲です。 家系に適当な人がいなければ、他人に引き継いでもらえばいいだけですが、血縁がそれを由としないのでしょう。
 他人に引き継いでもらうには、信頼できる人を選ばなければなりません。そしてひとたび信頼によって決めたら、徹底的に任せることです。無責任と思われるほど信頼することです。 見返りを求めず信頼することです。非情なほどに信頼することです。引き継ぐ者に不安感を抱かせないことが大切です。そんな思いで生きていますと、とても心が豊かになり、幸せを日々感謝しています。

 

「一流の人は明るい 平澤 興先生の人間学」

希望をもって生きることができるのは、人間だけである。
希望の内容が人間の格を創る。

「生きよう今日も喜んで」より