ベストピア
月刊ベストピア

2010年 3月号 第277号

1.古池や 蛙とび込む 水の音

 有名な松尾芭蕉の句ですが、この一句がなぜ後世の人々に語り継がれたのでしょうか。諸説の中で、芭蕉が蛙に対する見方を変えたことにある、とするのに共鳴しています。 すなわち、蛙は鳴くものであるという旧来の考え方から、蛙はとび込むものである、という視点の変革です。と言っても、なぜか実感が湧きません。そこで中学生の時に受けた授業に戻って、記憶を呼び起こしてみました。

 静かな古池にポンと音を立ててとび込んだ蛙は見えないが、池に広がってゆく渦がどんどん広がってゆく波紋の美しさは何とも表し難い。波の広がりに、聞こえない音の余韻をたのしむ風流さがいい。

 ここで池にとび込んだ蛙はどうなったのかを考えてみると興味深くなる。蛙は池の中をどんどん前に、足と手をかえる泳風に動かして泳いでいったにちがいありません。 そして、一挙手一投足に波紋をつくり出し、それらの波紋は複雑に影響しあい、ある時は共鳴したり、ある時はぶつかり合ってどちらかの波が消えていったり、そして蛙が再び丘に上ってしばらくすると、 池の中は波がおさまり、静寂の世界を形成してゆく。蛙の数が一匹と仮定すれば、その蛙がとび込まない限り、池は静けさを保っていることになります。

 蛙が二匹いたとしたら、そして前の波紋が納まらないうちに次の蛙がとび込んだとしたら、波紋は更に複雑になっていくでしょう。表面で見える風紋は「まる」の美しい広がりですが、 見えない池の中の波紋は想像することが難しい位にからみあって、美しいか醜いかも判りません。渦、何らか音を立てて動いているように考えられますが、その音が聞こえる人は殆どいないか、極めて少ないでしょう。

 これを音にした人がいます。ピアノで弾けるように楽譜に書いたのです。それをピアニスト小川典子さんが初演(2月6日 ミューザ川崎)されたのを、私はたまたま聞く幸運に恵まれました。 作曲者は菅野由弘氏、楽名は「水の粒子」

 「水の粒子」をピアノだけで表現するのではなく、彼が用いたのが「明珍(みょうちん)火箸(ひばし)」でした。

 姫路で何代にも渡って刀鍛冶の業を継いで来られた方が作った純鉄の箸をピアノの左側に置いて、小川典子さんがピアノを弾き、時々、その二本の箸に触れる。かすかな音でした。 耳の悪い私に聞こえるかと不安があり、懸命に耳をかたむけました。そのかすかなかそけき音は1000名入るホールの隅々にまで届いていたのです。 菅野由弘氏の説明によると、高周波なので隅々に伝わるとのことでした。見事に余韻の残る音です。いつ終わったか判らないずっと鳴っている、ピアノの音に負けず、ベースでずぅーっと鳴っているという感じです。 楽譜のどこで明珍火箸を鳴らすかが書かれているわけですが、まことに効果的で残響の心地よさが家路の友となりました。川崎から小田原までJRに乗りましたが、騒音にかき消されることのない、かそけき音の不思議を覚えました。

 菅野氏は昨年、「光の粒子」を作曲されている(私は残念ながら聞いていない)。本年「水の粒子」と「光の粒子」の二作が、ロンドンで世界初の発表がなされるという。これはすごいことだと思う。

 哲学が芸術を統合し、「考えが」感覚器官をとおして「感性の本質」に迫っていゆく。しかも素材が、光・水という宇宙的なものである。発想の豊かさは言うに及ばず、スケールの大きさという点でも、 日本発として、大いに誇れるように思われます。

 CDになるかどうか私には判りませんが、コンサートホールでしか体験できないかも知れません。蛙の池の中が少し聞こえたのでしょうか。
 予期せずに出合った「ミューザ川崎」での神秘な音の体験です。
 来年は「虹の粒子」では も決定しています。これで三部作が完成します。楽しみがまたひとつ増えます。

 

2.チリの巨大地震の津波

 親しくしていただいているタクシーの運転手さんが、津波の翌日、葉山海岸にひじきを取りに行った(2~3年に1回行っているとのこと)ところ、思わぬ副産物があったと話してくれました。 それは根のついた大きなワカメが大量に波打ち際に寄せられていた。ワカメは2~3m位で根には石がついていたとのこと、ちぎれた葉だけのワカメではないので、新鮮でおいしかったという話です。

 私はこの話を聞きながら、蛙の池の中を思っていました。津波という表面での動きも、南米チリから遠く日本に大きく及んでいる、その間に海の底はうなりをあげるような怒涛の動きが起こっているのだ。 地殻変動は一瞬の地震ではなく、波紋のように地球全体地の底からの影響を与えているのだということを知らされました。チリに行くには飛行機の乗り継ぎで約24時間かかります。津波の速さはそれ程に速いことを知らなければなりません。

 狭い地球、小さな国での戦争も他人事ではない。政治家にわかってもらいたいです。

 

3.「藤原直哉さんのワールドレポート」 より

 尊敬してやまない藤原直哉さんのワールドレポート(10年2月24日号)を転載させていただきます。私は2004年頃ベストピアにシュメール文明について連載しました。B.C.2004年にシュメールが滅び、 その後のイラクがどうなったのかをいずれ研究しようと思っています。アブラハムがイラク(カルディア)のウルを出発する年までの研究資料が見つかっていません。老後のチャレンジの楽しみにしています。

藤原さんは歴史研究からも現在に向って多くの示唆をされています。その一例をご紹介します。

はじめに
 みなさんこんにちは。寒暖の差が激しいながらも春を感じる陽気になってきました。節分、旧正月が明けて世の中の動きも本格的になってきました。 我々は西洋あるいはユーラシアの歴史の中でソロモン王の神殿とかバビロンの空中庭園、あるいはアレキサンドリアの大灯台のことを知っています。 それはある部分、現代よりもはるかに栄耀栄華を誇った時代の象徴であり、逆に言えば今の文明がどんなに背伸びをしてもその栄耀栄華にはかなわない部分があります。 3年前に始まった世界大恐慌と共に欧州も英米も本当にずぶずぶと歴史の荒波に沈んでいこうとしていますが、彼らはこの5百年の近代という時代に結局何をしたのでしょうか。 おそらく多くの賢明な欧英米の人々はそれを考えていると思います。どんな文明も滅びるときはあっけないものであり、時として一夜にして滅亡することもあり、後には砂に埋もれた、海に沈んだ廃墟だけが残ります。 それを後世の人たちが発掘してその文明の姿を推理したときにどのような評価を下すか。今まさに滅びんとする文明を司っている賢明な人たちの頭にはそのことがよぎるに違いありません。 今回の世界大恐慌の直接の原因となった金融市場の限度を超えた拡大は、金融市場を制御する各国の法律の抜け穴をついて行われたものでした。 すなわち当局の規制の目が届かないところで投機を極限まで膨らませたわけですが、それは各国の法律では規制できないものでした。 しかし西欧には戒律あるいはもっと広く規範というものがあり、戒律や規範で考えたら絶対にあり得ないことが行われたのです。 そしてこの戒律あるいは規範は聖書にあり、モーゼの十戒にあり、その前はバビロニアのハンムラビ法典にあり、さらにその前はシュメール文明です。ところがその前は歴史に埋もれてどこが起源であるかわからないのです。
 しかし少なくとも現代の西欧人が社会運営の常識として使っている規範は紀元前3千5百年前には存在したシュメールの時代と基本的に変わっていないのです。 逆に言えばその時代からその規範に背く行いをした人、民族、国家、文明は容赦なく神に滅ぼされてきました。 そういう視点で見れば歴史とは神に背いて神の怒りを買ってこの世から放逐された人たちのおびただしいばかりの行状記でもあります。 ということは過去5百年の近代文明を創り育ててきた欧英米は単にその行状記の最後にもう一つの失敗記録を書き添えただけだったのか、 あるいは今までの行状記を教訓として神に認められた永遠の文明を創ることに成功した最初の国々だったのか、文明が幕を閉じようとしているとき、人は当然そのことに思いをはせるはずです。 そしてその答えはあまりにも明らかです。結局のところ少なくとも過去5千年ほどの間に人々が神の目から見てあまり大きく進化していないことは確かだと思います。なぜ人々は常に同じ誤りを繰り返すのか。 なぜ人々は地獄絵の大混乱を教訓に進化することができないのか。本当に人間はもう終りなのか。ではなぜ神は人に守れもしない戒律、規範を与えるのか。 毎日教会に通って熱心に祈っていればすべては回避できたことだったのか。人々の想いは四方八方に散らばるばかりだと思います。 筆者は欧英米の人々の最近の言論を遠目で見ていると、そうした底知れない不安感、諦め、怒りが突如として目の前に噴き出し、それと向かい合わざるを得なくて途方に暮れている西欧人の深層心理を感じます。 もちろん筆者にもそうした疑問に対する直接の答えはわかりません。しかしひとつだけ確かなことは、少なくとも今朝目が覚めて今日1日を生きるときに、過去の膨大な失敗記録、 あるいは戒律や規範が破られたときに起きる地獄絵は今日1日が永遠の繁栄の初日となるように生きるための生きた教科書であるということです。 すなわち我々は5千年の歴史を振り返って永遠の悔悟の念に立ちつくすのではのではなくて、それは今日1日を明るく元気に永遠の繁栄へと続くように生きるための反省材料とすべきだということです。 過去は悔やんでも始まりません。しかし過去は大いに反省すべきなのです。そしてその教訓はそのうち活かすのではなくて、今その場から生かすべきものなのです。 文明の崩壊というようなものは過去の矛盾の解消ですから人の力では止められません。しかし文明の創造は人の力によらなければできません。この激しい時代は、こうやって頭を切り替えた人から未来が開けていきます。 よく行動することが大切なのです。

小原 靖夫