2009年5月号 第267号
旅での発見
1 また旅にでる
希望という名のあなたを求めて、ゴールデンウィークを挟んで、長い休みをいただいて旅に出ました。
不毛の60代から何とか脱出して、実りある70代に備えたいと、昨年の暮れから計画していた本が完成したのが、
4月23日正午、その日に出版記念の講演会をさせてもらい、体調を整える為に小倉に飛び、背筋を正してもらって中部国際空港のセントレアホテルに泊まり、
特典航空券を有効に活用して、フランクフルト経由でベルギーの首都ブルッセルに到着、そこから花のベネルクス国周遊のツアーに乗せてもらい、国内旅行同様気楽に、
ルクセンブルグ、オランダと花と絵画を楽しみ、最終地ウィーンは単独で海外旅行気分と緊張感を味わいつつ、誉れ高いムージックフェラインで三夜を堪能し、
新型インフルエンザも忘れて成田に到着、無事出国でき「旅の無事」に感謝をしているところです。
2 旅の無事
「旅の無事」という言葉の通りに、旅には楽しい反面、リスクが伴います。このリスクと共に歩むことが又、楽しいという面もあります。リスクが実現すると大変なことになる。
一番のリスクは旅先で死亡するということです。本人は好きなことをして天国へ召されるので幸せかも知れませんが、家族にとっては一大事です。
20年前、私はイスラエルに旅行中に心不全で急死された人の亡骸を引取りに行ったことがあります。労苦と費用の大変さを実感している者のひとりです。
そんな訳で、海外旅行傷害保険では、この費用を重視して保険に入っていきます。
小さなリスクは常にありますが、身近なものは何といっても、自分自身による忘れ物と紛失です。
紛失といっても、なくなってはいないのに、自分で発見できない時も紛失ですから焦ります。いつか記しましたパスポート紛失の一件もありました。
そこで、今回は旅の期間中「捜し物をしないという目標」を立てました(旅の初め三日間は捜し物ばかりして旅を楽しむ余裕がなくなっていた)。
そのために必要であったことは、徹底した整理整頓と外出時の点検です。このことで捜し物の時間なくなり、時間に余裕が出て活動範囲が広がっていく。
独り旅は修行になる、というとても良い面を持っている。
3 絵を観る
絵を観ることが目的の旅ではなかったが、旅を終えその訪問した数を調べてみると10ヶ所にもなっている。 ブリュッセルでは王立美術館(ルーベンス、クラナッハ、ブリューゲル)、アントワープでは、ノートルダム寺院(ルーベンス)、聖バーフ大聖堂(ファン・アイクの神秘の子羊)、 ブルージュでは聖母教会(ミケランジェロ)、オランダに入り、ヒーサムではクローラ・ミューラ国立美術館(ゴッホの夜のカフェテラス、糸杉等)、 ハーグではマウリッツ、ハイス美術館(フェルメール)、アムステルダムでは国立美術館(フェルメール、レンブラント)、ゴッホ美術館(ゴッホの生涯を絵で観る)、 ウィーンでは美術史美術館とベルヴェデーレ宮殿上宮(クリムト)、造形美術アカデミー絵画館(ボッシュ)がそれである。 私は絵を書くこともできないし、特に好きでたまらないということでもない。なぜ美術館めぐりをするようになったのかも定かではない。 しかし3年前、クリムトの「接吻」の実物に直面し、その美しさに歓声をあげて以来、絵を観る目が育ち始めた。 クリムトの絵を写真で観ている内は嫌悪しか感じなかったのに、本物との出合いによって、180度の転換をしてしまった経験がある。 その後クリムトのベートーヴェンフレーズを3年かけて対話し続けて発表した。
4 フェルメールの人気はどこにある
今回の旅で、又同じことをフェルメールで経験することになった。20世紀から21世紀にかけて、フェルメールに対する関心は世界的に広まり、
大規模な展覧会が日本を含め、欧米でも開催され、「真珠の耳飾りの少女」に至っては、映画化もされた。
私はこの有名な「真珠の耳飾りの少女」が好きではなかった。その理由を確かめたくて、本物の前で30分程対面したが、やはり好きにはなれず帰国して、
フェルメールに関する本を6冊読んだ。その中に有吉玉青の「恋するフェルメール」があった。若い彼女の名文にうなった。
「この絵は、まなざしがすべてだ。そのまなざしは、まるで自分の心の奥底にまで届くかのようだ。 忘れたことにしていたこと、思い出してはいけないこと、さらに自分でも意識できない深層心理にまで届くほど鋭く強く、そして冷たい。 冷ややかに、こんなことしたんでしょ、こんなことあったんでしょ、あなたのこと知っているのよ、と言われているようで、こわい」
絵は観る人によって異なる意味の発見がある。それが芸術たる由なのだが、この「北のモナリザ」は世界共通で人気があり、人々はなかなかその絵の前を動かない。
あるいは、まなざしに射すくめられて動けないのかもしれない。
私がフェルメールに近づけなかった大きな原因は他にある。それは教養の無さに由来するもので、表明するのに恥ずかしさが伴うが、7~8年前になろうが、初めてベルリン、
ウィーンの音楽の旅に参加した。その添乗員は博学で、その彼に客が集まってくる程に音楽と絵画に詳しい人であった。
ドレスデンの絵画館にある「取りもち女」別名「遺り手婆」の前での解説を聞いて、「それが何の意味がある?」としらけた気分になって、
「真珠の耳飾り」の光の中にいる少女の前も素通りしてしまった。
そして、ベルリン国立美術館で「紳士とワインを飲む女」の解説を聞いて、絵の美しさや光の輝きの前に感性が理性に叩き潰されるような気持ちになり、
フェルメールは遠い存在になってしまった(言葉で聞くことにより、今まで持っていた感情が否定されるという意味)。
しかし世の中は逆であった。フェルメールの絵を全点見て歩く旅、フェルメールを極める旅が人気を集め、フェルメールブルーの解説はNHKで放映され、
映画も好評、日本でのフェルメール展は期間中毎日長蛇の列であったと聞いている。ある意味でそれは当然のことであり、21世紀の人々が潜在的に何を求めているかの一つの象徴であると思う。
テーマは何であれ、フェルメールの絵には光がある。それは戸外の直射日光ではない。窓辺からかすかに差し込む上品な光である。
その光が、部屋のあらゆるものに輝らされ、又は反射され、闇と戦っている。
「真珠の耳飾りの少女」がつけている真珠の下の方には、彼女の襟の白さが反射され輝きに豊かさが増している。
「牛乳を注ぐ女」ではパンも青の布も、牛乳も光っている。女性の左腕の半分に光があたっていて、全体として暖かく静かな感じになっている。
フェルメールの絵は全体で30数点と言われる中で多くが日常生活をテーマにしているので判り易く、光と和みが人々を惹きつけるのだろう。
20世紀末から21世紀にかけての騒然と暗闇が交錯する時代にあって人々は日常生活の中に静かな光を求めている。フェルメールにはそれがある。
5 好きな絵に出会う
アムステルダム国際美術館に行く前に、親切なガイドさんが絵の前に行く前に、半地下にある台所に連れて行ってくれ、窓の光がこのように入ってくると言う場所で、
「牛乳を注ぐ女」の解説をしてくれた。そして入館、ここは「牛乳を注ぐ女」の他に「小路」と「青衣の女」があるはずであった。
先入観で余り期待せずに足を運んだのであるが、そこには「青衣の女」に替わって「天秤を持つ女」があった。
ガイドさんも知らなかった、その案内はなかった。こんなことは美術館でよくあることで、ワシントンとの交流年で交換展示をしていると言うことである。これは私にとっては幸いした。
“望んでいたフェルメールに会えた”という実感が溜めに溜め込んだ欲求不満を粉々に砕くかのように、めくるめくる湧いてきた。
この旅に来て良かったという瞬間であった。構図はフェルメール特有の左側からの光を受けて立つ美人、光と陰が織り成す静けさ、平穏さの伝わる絵である。
画中画がなければ、誤解されないのにと戻って本を読んで、人並の知識を持った今、言えるようになった。ショップに行き、その絵葉書を買い求めようとしたが、一枚も無かった。
もともと売っていないのだ。絵の版権はここには無い。ワシントン・ナショナルギャラリーに行かなければ、絵葉書は無い。これにはガッカリー、一瞬の喜びと失望の落差は次の日まで続き、
不機嫌になっていく自分を感じていた。
翌日は花の旅の最後を飾るキューケンホフ公園であった。小雨がしとしとと降り、湿気も低く、気分もすぐれず、チューリップは日本にもある、
とふてぶてしく思ってチケットを配られるのを待っていた。添乗員が切符と一枚の絵葉書をくれた。何と、それが「天秤を持つ女」であった。
“これはどこにあるんですか?”と聞くと「受付に置いてある一枚ずつです」と当然だがつれない会話、私はすぐには公園には入らなかった。
何としてもそれが欲しかった。その絵葉書の裏を隅から隅まで一字一句を見逃さず読んだ。ヒントは必ずこの葉書のどこかにあるといういつもの考えで、解を見い出すには時間がかかった。
気がつけば答は簡単であった。このポストカードをアムステルダム国立美術館で見せればフェルメールに関するものが10%引きになるといういわゆるインビテーションカードを兼ねていた。
つたない英語で、“多くの人を国立美術館に連れて行くので、その分のカードが欲しい”と言ったら受付の中年の女性がニコニコしていたので、まとめて50枚位もらってきた。
というよりは、掴み取ったという方が正しい。かくして、私はグループと離れ幸いにして自由に美しい公園を鼻歌まじりに何周かし、立ち止まってはシャッターを切った。
珠玉の時間というべきか、ランチは屋台で売っているワッフルで十分であった。グループの人達は、舟に乗って寒い思いをしたらしく、私が賢明な選択をしたと褒めてくれた。
そして公園から出た時、受付嬢が別の人であったので、同じように入って再び、今度はそっと前よりも少なめに20枚位いただいて、バスに乗った。私の心は踊っていた。
6 フェルメール・ラバーの研究
たった一枚の絵であるが、本物の魅力によってかつてクリムトで経験したことをフェルメールでもできた。
かくして私もフェルメールラバーとなって、帰国して10日間足らずで6冊も読むことになった。ここで知ったことだが、そのファンというかラバーの多いこと、研究家の多いこと、
そのひとりに有吉玉青という人の本を求めた。名前からしてフェルメールブルーが彷彿してくるではありませんか。240頁の大作であるが、どんどん吸い込まれてゆくような筆タッチ。
私もこんな文章が書きたいと思い読み進むうちに彼女が有吉佐和子のお嬢さんであることを知る。「華岡青洲の妻」等のベストセラー小説を多く世に出し、1984年53歳で召天している。
玉青はフェルメール36作品の旅を旅行案内のように書き進め、女性の目から見たフェルメールが溺愛的でなく嫌なものをも冷静に書いているところにフェルメールに通じる魅力を感じる。
小林頼子と朽木ゆり子は有名なフェルメール研究家のようで、早くからフェルメールの謎に迫り、全点踏破の旅を実行しているようだ。
フェルメールの全点踏破が視野に入れられるのは、その作品の数が少ないことに由来する。
7 盗難事件
作品の数はどの本を見ても特定されず、30数点となっている。本を読み解いていくと36とするのが最多であるが、その内の3~4点についてはまだ議論と研究が続けられている。
私が見ても3点は違うだろうし違っていて欲しいと願う。現存する地域はアメリカとヨーロッパであるからフェルメールを主題とする旅が商品になることもうなずける。
彼の生涯は43年間であった。1632年に生まれ1675年に没しているが、同時代には光と影の作家と言われる、レンブラント(1606年~1669年)、ルーベンス(1577年~1640年)がいる。
レンブラントは自画像だけでも50~60枚描いており、全作品数は絵画だけでも約550点(不特定)と言われ全点を見ることは不可能である。
レンブラントの偉大さは代表作「夜警」の大きさをもってもいいあらわせる。小林頼子の研究によると、フェルメール32点が「夜警」の1枚に納まってしまうという。
フェルメール全点踏破は今のところ数人を除いて完踏することはできない。それは1990年に盗難に遭い、未だ行方のわからない「合奏」である。
フェルメールの絵は犯罪者の触手を刺激する魅力もあるようで何度も盗まれ傷つけられている。
1971年9月ブリュッセルの展示場からフェルメールの「恋文」が盗まれ、犯人は東パキスタン難民への援助(約400万ドル)を要求、犯人はほどなく逮捕されたが、
絵は切り取られたために大きなダメージを受けた。
1974年2月ロンドン、ケンウッドハウス美術館。被害にあったのは「ギターを弾く女」だった。犯人の要求はIRAのテロリスト、プライス姉妹を北アイルランドへ送り返せというものであった。
プライス姉妹らが有罪になった事件は、1973年3月8日ロンドン市内中心部に爆弾を仕掛けた2台の車(彼女らのもの)の爆発によって死者1名負傷者238名、
イギリス政府は犯人の要求には従わなかったのでテロは拡大し、1974年4月アイルランド共和国ダブリン郊外の私邸ラスボローハウスからまたしてもフェルメールの「手紙を書く女と召使」他が盗まれた。
この事件はほどなく犯人が捕らえられ、絵も無事に戻った。その翌日「ギターを弾く女」が市内の教会の墓地に置いてあるという一本の電話によって絵は戻ったが、
事件は解決していないという。
1986年またしてもアイルランドのラスボローハウス(12年前にも上記の窃盗事件があった)から「手紙を書く女と召使」他11点が盗まれたが1993年アイルランド警察の
執拗なおとり捜査が効を奏して絵は戻った。
1990年には、ボストンのI.S.ガードナー美術館からフェルメールの「合奏」他(2~3億ドル相当の美術品13点)が盗まれ、容疑者と思われる人が次々と死亡、
現在は捜査の手掛りがないという。かくして、現在のところフェルメール全点踏破の旅は不可能で、ひたすら「合奏」の無事出現を全世界のフェルメール・ラバーが祈っているところである。
8 贋作事件
美術品には贋作事件がよくある。制作者(又は制作時代)などを偽って買手をだます意図のもとに制作された美術品のことをいう。模写ではなく模倣というべきものである。
絵の売買には鑑定家が仲介するから、贋作を世に出すには、まず鑑定家の目を欺かねばならないほどの技量と研究を要する。
トレ・ビュルガーという鑑定家がフェルメールの作品として認定した絵画は70点以上(真作は24点)あったらしい。その後の研究で真作は減少して30数点となった。
しかし、1945年ナチス・ドイツの国家元師ヘルマン・ゲーリングの妻の居城からフェルメールの贋作「キリストと悔根の女」が押収された。
それを売却した人物、メーレヘンがオランダの至宝をナチスに売却した罪で逮捕された。
メーレヘンは売却という罪を犯しているのではなく贋作という犯罪を犯しているが死刑に処されるということになって、彼自身が贋作であることを告白する。
このことによって損害を蒙る人々がいる(贋作は12点あった)周囲はそれを認めたくなかったのであろう。
メーレヘンは自身が贋作者であることを立証するために衆人環視の法廷で「寺院で教えを授けるキリスト」を描き上げた。
その絵によって彼の実力が判明し贋作が決定した。彼は天才画家であった・・・この後は「私はフェルメール20世紀最大の贋作事件」(フランク・ウィン著 小林頼子他訳)を参照。
今から350年も前、わずか43歳の恐らく平凡な生涯で、残した作品が30数点。しかも真作は現代の人々の心を魅きつけてやまない精神的雰囲気を醸し出す。
フェルメール全踏破に出る人は今後も絶えることがないようである。
