2009年3月号 第265号
日々刻史
1 行間のヒント
今年は大きな変化の節目の年であり、「歴史に残る日」がいつもの年より多いようです。
その一つに、米国の経済状況を「絶壁から落下」と発表した、ウォーレン・バフェット氏の言葉があります。
3月9日、米経済専門テレビCNBCのインタビューで応えた言葉で、早期回復は難しいとの認識を示し、
米経済の現状を「最悪に近い」とし、失業率の上昇、消費の冷え込みが今後も続くと予想、オバマ政権には、金融システム維持を目指す姿勢をより明確にするように求めた。
更に、景気下支えのため、大型景気対策や事実上のゼロ金利政策が導入されることを念頭に、景気回復期には1970年代後半よりも深刻なインフレが発生する可能性があると指摘した。
全ての新聞が報道していることですが、ウォーン・バフェット氏の世界経済への影響力(私には判りません)がどれほどあるのか、
を鑑み「深刻なインフレ」警告が出されたと読むべきか、短い記事ですが、これからの経済を読み解くヒントになるようです。
ウォーン・バフェット氏の語録
- リスクとは、自分が何をやっているかよくわからないときに起こるものです。
- ビジネスの世界では、いつもフロントガラスよりバックミラーの方がよく見えるものです。
2 あすは何の日
夕刊フジが連載している記事ですが、3月は1970年の記事で私に関係があるものが多く、偶然の必然のように目に留まりました。
(1) 1970年3月11日、パン・アメリカン航空のジャンボジェット機が日本に初飛行した。空飛ぶホテルと呼ばれるパンナムの747が他社に先がけて、
東京-ホノルル-ロサンゼルスの間の本格的な旅客サービスを開始(747の初フライトは1970年1月ニューヨーク-ロンドン間です)。
当時米国に行くにはアンカレッジ経由で18時間くらいかかっていたようですが、ホノルル経由で大幅な時間短縮になったと記憶しています。
39年が経ち、パンナムは破産、747も老朽化し、ともに新しい会社、新しい機種へと引き継がれてゆきました。
(2) 1970年3月14日 大阪万博の開幕
快晴、前夜の雪がまだ日かげに残る千里丘陵で、日本万国博覧会が幕をあけた。世界77の国からいろんな人がやってきて、巨大な祭りが始まった。
関連投資を含めて1兆円のカネがつぎこまれた。(参考 2007年実質GDP56兆、1970年10.9兆円で約5倍)
「人類のこの偉大なる力を、こどもたちが知る。自分の目で見、肌で確かめる。それが21世紀への未来への平和につながっていく。
太陽の塔に人間賛歌がこだました。」総入場者数は6400万人を超え、万博史上最多であった。
岡本太郎氏の賛否両論がごうごうとした前衛的な「太陽の塔」の地下には、「世界を支えているのは、無名の人たち」と世界中の人々の写真や民具が並べられた。
この時期に作成されたと言われる「明日の神話」の壁画が、2008年11月「誰でもがいつでも見られる」という故人の意思で、渋谷マークシティに飾られました。
(3) 1970年6月下旬、初フライト米国からヨーロッパへ
私はこのボーイング747に乗って、米国に研修に出してもらったのです。約3ヶ月間、サンフランシスコのバークレイにある大学での夏季研修でした。
準備期間中から一番胸が湧いたのが、初フライトがその年に就航した747に乗れることでした。かくして私の海外旅行の第一歩が始まったわけです。
この研修に参加するため、現地の人との会話のための話題づくりに、大阪万博にも行きました。
「あんまり多くて、いろいろ見すぎて、何を見たんだか覚えていない」という記事を読んで、自分の健忘癖を嘆くなかれと心強くしたところです。
3ヶ月間の研修が終わった後、西海岸から東海岸ニューヨークを周り、大西洋を越えて、ロンドンのロイズを訪れました。
ロンドンの最初の体験が、タクシードライバーによる過剰請求でした。飛行場からYMCA安宿まで乗車したわけですが、遠まわりをされ、
勝手にいろいろガイドをしてくれ、到着した時には、高いガイド料を要求されました。
YMCAはチェックインが午後2時ということで時間がありすぎ、バッキンガム宮殿にカメラを持って散歩していたところ、初老の紳士が近づいてきて写真をとってあげるということで、
カメラを手渡してしまった。カメラを取り戻すには、チップというものがチャージされた。
それまで英国は市民革命・近代化モデルとして教えられていましたので、それなりの敬意をもっていましたが、それらの全てはこの時に吹っ飛んでしまい、
それ以来、英国には一度しか立ち寄っていません。その一度も、家族でイスラエルに行く途中の二泊でしたが、その時も、ヒースロー空港での出国手続に2時間の質問攻めにあい、コリゴリしました。
今では全て楽しい思い出として語ることができます。
いずれにしても公私にわたり、1970年は歴史的な年でありました。
2009年の後半から2012年12月末までの3年半は、人間の歴史にとって非常に大きな転換点となって、後世の人はこの時を何と称するか興味があります。
「超・賃金ダウン」
近著の標題は決まり、脱稿も終わっていますが、急激な変化で情報がどんどん更新され、そのための書き替えがあり、出版が遅れています。
4月下旬の予定ですが、本から除かれた原稿の一部を連載します。この本の出版目的は賃金ダウンを推奨することではありません。
賃金ダウンをどう乗り越えるか、そのためにはどんな経営資源(人・物・金)をどう配分するかという戦略を踏みこんでいます。
お金という経営資源が枯渇した今、量的拡大によって解決が先に延ばされていた問題が、赤裸々になってくる今、中小企業がとり得る戦略に幅はなくなっています。
企業を継続できるとすれば、次の飛躍に何をなすべきかについて、少し論理的かつわかり易く書いたつもりです。つもりはつもらないかもしれませんが、次の一文が全体像を表しています。
SN社長の感激の話
2009年は全世界が暗闇の中で新年を迎えましたが、私は20年来のおつきあいのある社長の年頭の研修での挨拶に勇気づけられ、涙が出るほどの感動を覚えました。
話はご自身の元旦の不慮の事故の話で始まりました。
元旦の早朝にある発明案が思い浮かび、実験したいことがあって工場の扉を開けた。構内は清掃が行き届き、自慢の5Sの実践ぶりに我ながら感心して誇りに思った。 当面の用のために、ある機械を鉄の台車で移動して扉を閉めて帰宅した。2日の夜中に、また閃いて工場に行き、同じように扉を開け自分の発案に夢中になって勢いよく中に入ったとき、 先刻の台車に足の脛をぶつけてしまった。深夜の暗闇に大きな悲鳴が響き渡ったほど痛かった。台車を元のところへ戻しておけば、こんな事故は起きない。 いつも社員の皆さんに5Sの徹底を言っている私が、自らの不実行で負傷したことを正月早々に誰にも言うことはできなかった。 家族にも隠し、病院にも行かず、痛みと傷の化膿に耐えて1ヶ月近くになり、やっと肉が盛り上がってきた。
整頓を怠ると大きなけがになることを実感させてもらった。この痛みと闘うなかで、皆さんの日頃の5Sの徹底に感謝し、そんな皆様とこれからも一緒に長く働いていきたいと思った。 我が社は昨年から大きな設備投資をはじめており、皆さんから不安の声も聞いているが、この計画は断行します。 この不況の底はまだ見えず、暗いトンネルは長く続きますが、必ず出口はやってくる。その出口が見えたときに準備をはじめては遅い。 準備は今から、そしてチャンスは前髪で掴むというのが私の戦略です。正直いって、この計画をどうしようかと迷いに迷って自分で怪我をし、痛みを実感した。 我が社にも不況の嵐は必ず来る。その覚悟でいるが、社員の誰一人辞めさせることはしない。役員報酬は見直すが、賃金ダウンも回避したいと思っているので、 これからも5Sを徹底して安心して働いて欲しい。
5Sの目的は安全と安心の実現であることを改めて再確認して、今年も目標を達成していきましょう。今年の目標は昨年より10%下方にしてあるが、 目標達成したら、いつものように決算賞与を支払います。
力強い締めくくりの言葉でした。
この会社の特徴の一つは、人間くさい戦略といいましょうか、社員の心理や感情への配慮が日々の業務の流れの中でなされていることです。
例えば日報を通して上司とのコミュニケーションが感情の流れまで交流できるようになっていること。更には、成果への報酬をいつも明確にして、その約束を必ず実行していることです。
この会社から私が20年間、共に学ばせていただいたことは、評価システムの定着によって、査定から評価に変わり、現場の人々の一つ一つの努力の集積で、
自発的な問題解決サイクルがまわりはじめ、5Sの徹底が市場に認められ、毎年3%の成長を着実に達成できているということです。
高度成長期にも、飛躍的な成長は避け、戦略がきちんと実行できるように経営資源と組織を整えながら着実な成長をしてきたことを覚え、今こそ次なる飛躍の戦略を打つならば、
経営資源である人と人が創り出す風土の改革をするときが来たと思い、この本を世に出すことを決意したところです。
ピンチをチャンスに変えるには、小さなトライが必要であることを、英文字で発見しました。
CHANGE
↓ 「G」→「C」 T(Try)
CHANCE
孫とのコミュニケーション
孫の帆乃桂から手紙と日記の原稿がとどきました。約束の時間の間に合わなかった原因が判りました。
封筒のエコ使用で市役所から来た物を再使用したため、郵便が元に戻ってしまいました。
私の花粉症の見舞い、毎朝5時45分に起きて欠かさずラジオを聞いていること、5年の最後の作文を3作送ること、新作分は4月の中旬になること、
1年上がったからには内容のレベルアップすることが書いてありました。その内から二つを掲載します。
「1年間を振り返って」
5年生では色々な体験ができて、自分で判断し、チェンジすることが出来た。 最初の時に山村先生が『チャンス、チャレンジ、チェンジ』の合言葉を聞いて、チェンジすることがたくさん出来た。
自然体験のとき、三つの合言葉を生かして、実行委員になった。実行委員ではみんなの中心となり、活動を進めた。みんなで力を合わせて、大きくチェンジすることができた。
3学期の委員会活動では副委員長になり仕事をした。ここでも大きなチェンジだ。それと責任をもって行動できたのが良かった。3組のみんなで力を発揮した所もたくさんある。
例えば、運動会では学年の波のりダッシュを通して1位、なんと優勝、うれしかった。これも、1つのうずになり、1つになれたからだ。などなどたくさんの思い出がある。
6年になったら最上級生としての活動になる。そのために、5年の思い出を生かして第一歩を踏み出したい。
(3月7日 小原 帆乃桂)
「成功したお菓子作り」
今回もおかしづくりです。前回のハートのクッキーは大失敗でしたが、今回は見事に成功しました。前回と同じハートのクッキーを作りました。
今回はひとつずつていねいにやり、分離をしないように作り上げました。最後の混ぜ合わせる所も、お母さんに教わった通りサクッーとやわらかく、ほんのりと言う気持ちで混ぜていきました。
冷蔵庫で寝かせて型を取るときもスムースにいきました。私はヤッターと心の中で嬉しく思いました。次にチョコレートに挑戦しました。 流しチョコレートはチョコをきざんで、とかして、カップへ流し込んで冷やし固めるのです。
チョコをきざむのは苦労したけれど、うまくいきました。出来上がった後、お父さん、弟、お母さんに食べてもらったら、みんな『おいしい』と言ってくれました。 今度は、他のお菓子作りに挑戦したいです。
(2月22日 小原 帆乃桂)
