2009年1月号 第263号
1 新年を迎える
新しい年をご健勝で迎えられましたことをお慶び申し上げます。
もう今は健康でいられることが、何にも勝して大切であると実感します。「歩ける人は歩く」、「支えることができる人は支える」そんな原点に戻ってゆく最初の一年になるように感じます。
全ての人が経済評論家になれるほどに、生活環境が大変化の中にあります。一人だけ抜け出すことができない、絶対的に受容せねばならない状況です。
更に深刻化するでしょうから、一番近いところから仲良くし、支え合い、励まし合うことが必要です。近いところで批難や、中傷や、“貶し愛”があれば自ら一層苦しい状況を作ってしまいます。
職場での助け合い、地域社会の協力も、ますます必要になってくるでしょうし、身近なところでの農業も欠かせなくなります。
つき抜けなければならない苦悩は、まだ先にあるようですが、それを抜けて歓喜たらしめる力が、与えられるように祈ります。
2 苦悩をつき抜け歓喜に至る
希望の革命をテ-マにして、ベ-ト-ヴェンの交響曲に至り、4号に渡って素人的な展開を試みてきました。
(1)現代の苦悩の原因
現在人類が直面している苦悩は、全て人類が作り出したものです。多くの人々は「私には関係のない」ところで作り出されたかもしれません。
各個々人は幸せになりたいという願望をもって生まれてきました。そのために人類はいろいろなものを発明してきました。
火を発見し、言葉を生み、天体観測術は古代においての人類の三大発明でした。
ルネサンスの三大発明は、活版印刷(グ-テンベルグ)、羅針盤(航海術)、火薬といわれますが、古代の発明のスケ-ルを拡大したものです。
現代版にすれば、コンピュ-タ-、宇宙衛星と原爆となるのでしょう。全てが便利さの追求にあって、スピ-ドと量的拡大と支配の手段の強化となって現実化しています。
これらを進化と呼ぶとして、何がそうさせたのか、これも多くの人々がいろんな学問の中で答えを出しています。
現代の苦悩はその答えに耳を傾けなかったか、又は傾ける余裕がなかった。それはスピ-ドの中での多忙さという自己忘却装置を作ったことによってなのかもしれません。
前置きをこれ位にして、グスタフ・クリムトの「ベ-ト-ヴェン・フリ-ズ」に挑戦してゆきます。
(2)グスタフ・クリムト(1862年~1918年)の
ベ-ト-ヴェン・フリ-ズ第9交響曲
[1] 「接吻」で有名な画家で、絵を見れば多くの人々が“ああこれか”と思われるほどに世界的に流布しているKissです。
彼の作になる「ベ-ト-ヴェン・フリ-ズ」なる壁面画がウィ-ンのセセッションにあります。
1970年オ-ストリア政府がこの作品を買い上げ、多額のお金と時間をかけて入念に修復して展示されています。国宝級の扱いで写真を撮ることもできません。
常に監視の人のついている一部屋の中で、見上げる位置に展示されています(写真コ-ナ-にカタログからとったものを掲載しましたのでご覧ください)。
[2] 芸術の良さは何といっても自由な解釈が許されることです。
作者は殆ど意図を付していない、後世の我々見る者が自由に解釈できる、こんな自由がたまらなくて、音楽を聴いたり、絵を観たりするという趣味が確立してゆくのです。
[3] このベ-ト-ヴェン・フリ-ズとの出合い
今から2年前、ウィ-ンでの街の散歩がきっかけでした。私はそれ迄「接吻」という絵が好きにはなれず、近寄ることすらできませんでした。
正月のウィ-ンの街を歩きながら、目的もなくヴェルベ-レ-デ上宮殿に入りました。
予想以上の混雑にまず驚きましたが、一点に向かっている人の波ができており、私もその波に乗って到達したところに、あの「接吻」の本物が薄暗い部屋の中央で、燦然と輝いて在ったのです。
見た瞬間「ワァ-、すごい」という声が思わず出てしまいました。初めての人の多くは私と同じようにそれぞれの国の言葉で「ワァ-…」と小さな叫びを上げていました。
理屈抜きの美しさに一瞬にしてとりこになり、私は3時間その宮殿を周りながら、何度となくその絵の前で沈黙凝視をしていました。
監視員につきまとわれ要警戒人物になったように感じましたので、その年はこれ位であきらめて戻りました。
クリムトも捨てたものじゃないと感じてパンフレットを読んでいると「ベートーヴェン・フリーズ」があるということを知り、
今度は気がはやりタクシーに乗って、くだんのセセッションの地下に踏み入ったわけです。そして今度は、その醜さに仰天してしまいました。
[4] ベートーヴェン・フリーズの意味づけ
芸術のもつ解釈の自由さという恩恵によって私流の意味づけを試みますが、なかなか筆にならず、その後3度その場を訪ね、監視員に完全に顔を覚えられてしまいました。
絵は人が見上げる位置で、左側・正面・右側のコの字型に連続性をもって描かれています(写真コ-ナ-参照)。
イ)左側からはじまります。超細身の女性がフローティング(浮遊する)をしています
(その絵だけでも長い解説ができるほどの意味深長な姿をしています……今回は割愛)。
幸せの憧憬という公式の解説があります。苦悩する人間が幸せを求めて人生の旅路に出るのですが、その出発は何とも弱々しく憐れみを感じてフローティングしています。
幸せになりたいという願望を実現するために、強者に頼り、懇願することになります。
ここで王(強者)の誕生ということになるのですが、その王は弱い人々に慈悲の心をもち、賢者の智慧をもっているように描かれています。
聖書のサムエル記を思い起します。民は、王を求めますが、サムエルは王の権能を説いて、積極的ではなかったのですが、
民はサムエルの声に聞き従おうとはせず言い張った「いいえ、我々にはどうしても王が必要なのです」こうしてサウルが王になる記述があります(サムエル記上8章~9章)。
こうして賢者にして慈悲に富んだ王を得て、更に(それに満足せず)幸せを求めてフローティングしてゆくところで左側の絵が終わります。
ロ)正面の絵はグロテスクの塊です。この部屋に入るとまず目に入るのが真珠の目をもった猿の怪物、その左にはギリシャ神話の醜怪な3姉妹、
その目でにらまれた人は石になるという裸婦達、猿の右には不摂生で肥満になった大金持、快楽と淫行を象徴する二人の女性、
更に右には病で死にそうな痩せ細った女性が大蛇に飲み込まれそうになっているのです。更に解らない不気味な羽のようなものが上から覆っています。
猿は権力の象徴のように感じます。幸せを求めてフローティングして出会ったものの醜さは、現代を写し出しているようです。
その原因を個でみてゆきますと、自己中心性に凝縮されます。
命がもつ、よりよくなりたいという欲求が競争の世界(複数の命群)では、まず自己保存本能が働いて、自分さえよければという欲求が加わります。
そしてはじめの賢者の心と慈悲の心を忘れてしまい、弱者を犠牲として自分の権力を増殖し、苦悩を自己増殖させてしまったのです。
自分さえよければとする心を罪といいますが、これを自覚できなくなった時代を「神は死んだ」時代とも言いうるわけです。
正面の絵は「敵対する力」と題されていますが、幸せをはばむ人間に内存する罪(からみつく罪)と題した方がわかり易いと考えます。
この絵は、縦2.15m、横6.3m、面積で13.54㎡(約4坪)もあります。しかしこの絵をじっとみつめない限り、幸せにはなれないように構想されています。
救いようのないこのような長大な絵(世界)の右上隅に本当にわずかながら蛇の尻尾の隙間から救い出された人が、再びフローティングをはじめるところで正面の絵が終わっています。
忍耐してよく観察すること、それは立ち留まって内省をし、神との関係をあるべき姿に戻すことの必要性を訴えているようです。
ハ)右面(高さ2.15m×13.92m 約30㎡、9坪)
恨み辛み、嫉妬と復讐、貧困と狂気から開放されて弱い人間が出会うのが「詩 poetry」と題されているのですが、これは聖典と解するとすっきりします。
多くの人は必ず聖典に出会う恵みの時があります。その時のあることを信じて希望をもってフローティングし、そのチャンスに出会ったら、必ず踏み留ることが大切だと感じます。
さて、次が私の最大の課題なのですが、右面の3分の1(約3坪)の壁には、何も描かれていないのです。
その空間の向うにベートーヴェンの歓喜の歌の象徴が描かれているのですが、その前にこの空間が在って、この壁面画全体にものすごく大きなインパクトを与えているのです。
ある意味、正面のグロテスクさよりも、何もない空間が一番印象に残るくらいです。
この何もない(Nothing 無)の空間が何を意味するのか。
誰もが答えに窮することは質問しないのが礼儀なのですが、現地で聞けそうな人に聞いても答は返ってきません。
そんな質問は初めてですので研究しておきます、と言ってくれてた人の名前も住所も聞いていません。
この空間は、幸せを求め、罪の縄目から救い出され、聖典の導きに出会い、歓喜の歌に至る二つ手前に位置しています(一つ前ではないことに注意が必要です)。
空は無、無は捨、捨は空、空は無限……空は空で表現できないが、表記すると白になる。
又、次の段階への断絶の間、沈思黙考の時を意味するのか、はたまた放解かも・・・
クリムトの描いた空間は白ではない。すべての色をまぜ合わせると灰色になったのだろうか(補色の原理の拡大)。
東洋思想との融合なのか……思いめぐらすことの多い何もない空間です。
禅の悟りある人に聞いてもいいだろうか……この思いめぐらしの奇妙な感じに奮いたたされ、又行きたくなる場所です。
さて、次の場面に移りましょう。
五人の乙女が描かれ、三人の手は歓喜の歌の象徴へとつながっていますが、二人の手は顔と共にもとの方を向いています。
これも人間の欲望の象徴のようです。決して後を振り向くなという神の教えに逆らって、後を振り向くのが人間の性であることは旧約の時代のロトの妻でも有名です。
良き日にしろ悪しき日にしろ、昔を懐古し前進のエネルギーを奪ってしまう変革の難しさを実感する場面です。
いよいよ最後のファンファーレですが、この絵の解説がまことに難しいのです。乙女達の合唱に囲まれ、金色の釣り鐘のような空間の中で男女が抱擁しているのです。
クリムトのベートーヴェン解釈の極みなのでしょうか。悩みのない瞬間と空間の象徴なのでしょう。
輝やかしい神からの光は大きな歓喜である
楽園から遣わされる乙女たちも大きな歓喜である
神よ!我々はあなたの天国のような聖域に
情熱をもって踏み入る
あなたの神秘的な不思議な力は
今の流行や風習などで引き裂かれたものを再び結びつけ
あなたの神なる優しい翼の触れる所では
すべての人間がみんな兄弟姉妹となる
クリムトの生涯を研究すれば、もっとこの絵の真実にせまることができると予想していますが、今回はここまでとし、 ベ-ト-ヴェンの解釈の多様性と、どの時代にも「苦悩をつき抜け歓喜に至る」テーマが普遍的に存在し、人々は幸せを求めて生きている。 その実現の為に必要なもの不必要なものを整理整頓する、その時が今だと感じています。
3 ベストピアのホームページについて
小稿ベストピアは毎月頑張っております。本号は263号ですので21年11ヶ月連続しています。
実を言いますと、連続の為に生活に工夫と智慧をしぼり出してやっとできているところです。もう今月で断絶かという危機の連続です。
昨年の後半から「希望の革命」が時代的に必要と感じ、ベートーヴェン考察を通して考えめぐらしてきました。
滝沢陽一先生の「ぶどう園通信」も掲載しています。特に第14号は現代のヨブ記『なぜ私だけが苦しむのか』(ラビ・クシュナ-著)を平易に解説してくれています。
長編ですが、現代にふさわしい時を得たものです。
坂村真民先生のホームページへのリンクも掲載しています。
4 住所変更について
〒250-0117
神奈川県南足柄市塚原4360-11
小 原 靖 夫
勤務先:
〒250-0011
小田原市栄町1-8-1 Y&Yビル6階
辻・本郷税理士法人 湘南支部
