ベストピア
月刊ベストピア

2008年11月号 第261号

希望の革命 5

 ベートーヴェン 第3回目 

(1)浅学菲才にもかかわらず

 希望が持てないほどに落ち込む時代を感じてか、手が無意識の内に「希望の革命」(エーリッヒ・フロム著)に伸び、 その展開がベートーヴェンに行き着き、巨匠の生誕地ボンにまで足が伸び、全9交響曲を聴くことになりました。
 楽譜は全く読めない私がか弱い感情を精一杯傾け、感じたままの交響曲解説を始めているのですが、これは浅学菲才のなす業であることも判ってきました。 このベストピアの読者の中に大学で音楽を教えている方もいるのが判って慄然としているところです。
 しかし無学を徹底すれば、何か生きられるかも判らないという希望を持って進めてゆきます。

(2)伝記の難しさ

 ロマンロランの「ベートーヴェンの生涯」だけを頼りに学んでいたのですが、第3と第4交響曲をじっくりと聴いていて、伝記と音楽とがどことなく、 なんとなく合わないという感じを持ちました。どこがおかしいかと言えば、明らかに自分の聴く能力(音楽への無知も含めて)の低さがあげられるわけです。 そう思い直して読みかつ聴くのですが、どうも腑に落ちない。どうも気持ちが悪いのでやっと書店に足が向き、4冊ほどベートーヴェンに関する本を購入しました。
 その中の一冊「ベートーヴェンの音符たち」は文字通り楽譜でベートーヴェンの音楽の行間を理解するという私には読むことの出来ない本もありますが、 何か手がかりはないかと思って理解できないまま、ただ活字だけを追ってみました。
 それはさておき、判ったことは、ロマンロランには入手できなかった貴重な資料が1953年にボンのベートーヴェン協会から公表されたということです。 それはベートーヴェンをめぐる“不滅の恋人”は誰かに関するもので、ロマンロランはそれをテレーゼ(姉)と解し、他の作家はジュリエッタ(従姉妹)と解したのですが、 ベートーヴェンが出した13通の手紙の相手は、ヨゼフィーネ(妹)であることが明らかになっていたのです。
 ベートーヴェンを知る人には、常識になっていたことを私は知らなかったので赤面の至りですが、これもここまできますと仕方のないこと、恥をさらして進めます。
 「ベートーヴェンの音楽の神髄」の著者田幸正邦氏(沖縄ベートーヴェン協会会長、琉球大学農学部生物資源科学教授)とめぐりあって学ぶことが出来ました。
 この名著のおかげで私の違和感は次第に解決して行くのですが、楽譜が読めないだけ自由に解釈できるのが私の良さでもありますし、 無鉄砲さの危険も含むことになります。それでも進めます。
 上記の事実によって、ロマンロランの「ベートーヴェンの生涯」の価値がなくなったかと言いますとそうでなく、書店には岩波文庫の平積みで今もよく売れているようです。 私も45年前に購入したものは捨て、本年5月に買ったばかりです。
 しかしながら伝記はなるべく早く書かれるべきだと思いました。年月が経ちますと資料収集も難しくなってしまいます。
 又、資料の用い方にも配慮がなされなければなりません。伝記を書くものの倫理というものを感じました。 そういう意味でもロマンロランの「ベートーヴェンの生涯」は珠玉の伝記だと私は考えています。

(3)ベートーヴェン不滅の恋人

 ベートーヴェン不滅の恋人ヨゼフィーネについて記しておかねば第4交響曲が解説できません。
 ベートーヴェンがウィーンに出てきたのは、1792年11月(22歳)、その後めきめき力をつけて貴族の令嬢が競って彼のところにピアノを学びに来ていました。
 1799年5月からブルンスヴィック家の姉妹(姉テレーゼ、妹ヨゼフィーネ)にベートーヴェンは彼女たちとの交流を記念して歌曲『我、君を思う』を献呈した。

我、君を思う。 陽の光海より射する時
我、君を思う。 月の光泉に影描く時
我、君を思う。    (田幸著P23)

 当時では君は君達(二人)に宛てられておると解されたようで、君(個人)が誰であるかによって、伝記の書き方は変ってくるわけです。
1953年以降は資料から君がヨゼフィーネに特定できたわけですが、実に長い間(死後130年間)公表されなかったわけです。そのことは神秘の創造にも役立ったと言えます。
 ベートーヴェンが耳の病を意識し始めたのが、26歳と言われます。その3年後に姉妹に合い、彼女達の存在が病と闘うベートーヴェンには生きる希望になっていたのでしょう。 しかし、彼女たちに出会った1799年まさにその年にヨゼフィーネは26歳年上のダイム伯爵と結婚してしまったのです。これはベートーヴェンには失意となるものです。 彼女は4人の子供の母となりますが、1804年1月に夫が死去して未亡人となります。 ベートーヴェンは結婚できるかもしれないという希望が湧いて、次々と作品を創造してゆきます(ピアノソナタ第23番 熱情他)。
 1805年1月にはヨゼフィーネに歌曲「希望によせて」を献呈して、結婚の希望を明らかにしています。しかしヨゼフィーネはウィーンを離れ郷里へ帰っています。
このような状況の時に作らたのが、交響曲第4番です。
 ロマンロランも指摘しているところですが、ベートーヴェンは1805年に第5交響曲「運命」に着手していたのですが、それを中止して一気呵成に交響曲第4番を完成させたとあります。

 ここではヨゼフィーネの生涯をまとめて略記すことにします。
 1806年末に約1年振りにウィーンに戻っていますが、ベートーヴェンの愛に素直に応えることができないで苦闘が数年間続き、 その後1810年2月クリストフ・シュタックベルク男爵と再婚し2児を授かります。1813年4月離婚し孤独無縁の状態になり療養所に入る身となり1821年3月31日42歳で逝去しています。
 ベートーヴェンの音楽は「不滅の恋人」と密接に関係していることが田幸正邦氏の著作からよく理解されます(東京図書出版会より2008年7月26日初版)。

(4)交響曲第4番

 №1~№9まで聴いて、私にとって一番難しかったのが4番、第1楽章の序奏が無気味に暗くて幽玄的な美しさなのですが、 どこかにヨゼフィーネとの別離に怨めしいものを感じているのかもしれないと憶測しているところに、 第5交響曲のタタタターンが入ってくる(既にこの時に第5交響曲の第1楽章は出来上がっていた)。その後は穏やかで時に柔和で優しさの感じられる曲です。
 ヨゼフィーネへの愛が自由になり結婚が望める環境になったところを姉(テレーゼ)の勧めでウィーンを離れることになった(1805年末)。 その時期に作られたと考えることで、この第4番の構成がやっと理解できるようになりました。ロマンロランのお蔭で、このところは時間をかけて独学することができ、多くの著書に出合えて有難いです。
 友人から余り独りよがりの解説はしない方がいいとのアドバイスがありましたので第3~4楽章は割愛します。
 吉井臣彦氏(ロマンロランに多大な影響を受けたと自称されている)の解説にも共感しましたので、引用させていただきます。

 「ロランがベートーヴェンの音楽としては珍しく幸福な恋愛感情が反映していると解いている。 確かに、この曲に満ちている優美さ馥郁と香り立つような情感には、恋愛感情の反映とした方が理解しやすいものがある。
 ベートーヴェンの作品中には数々の恋愛から生み出されたものが多いことがこれまでに指摘されている。そう考えると、ベートーヴェン像はなるほど興味深い。 だが、徹底して観念の帝国に生きたベートーヴェンにとって、恋愛すら観念的であり続け、現実の恋愛とは一線を画すものであった。」(名盤鑑定百科ベートーヴェンP15)

 しかし、第4交響曲は現実上の恋愛感情が反映して尋常ならざる美しさがあると記しておられる。
 最後にシューマンはこの作品を「ギリシャ神話の清純な乙女を連想する」と記しています。

(5)交響曲第5番

 着手したのは、1803~4年と言われ、完成したのが1808年となっています。この間、1806年に前記の第4交響曲を一気呵成に完成する為の中継があります。
 じっくりと熟成を待った作品といわれていますが、指揮者朝比奈隆氏は、第5が一番難しかったと回想されていました。 ヨゼフィーネとの関係も無視できませんが、私の最近の感じを述べます。
 第1楽章のタタタターン「目覚めよ 主のみ前に」と聴こえるのです。 何度も何度もこの主題が明確に繰り返されますから、その度に「目覚めよ…」、もういい加減にしっかりと「目覚めよ…」との声になっています。
 第2楽章は慰め、優しさに溢れています。厳しい現実には「私は常にあなたと共にいる」という声に聴こえてきます。最後は力強く「出でよ」と私達を守っていてくれているようです。
 第3楽章は、再び現実の中でこんなに強い人間もこんなに混乱するのか、低いピアニシモは人生の暗いトンネルの連続を感じます。
 ここで私に浮かんで詩があります。(讃美歌224番)

行けどもゆけども ただ砂原
道なきところを  ひとり辿る
ささやく如くに  み声きこゆ
疲れしわが友   我にきたれ

やけたる砂原   いたむ裸足
渇きのきわみに  絶ゆる生命
しずかにやさしき み声きこゆ
生命のいずみにき 来りて飲め

かえる家はなく  つかれはてて
望みなき身は   死をぞねがう
さやかにちからの み声きこゆ
帰れや父なる   神のもとに

 第3楽章から第4楽章の間に切れ目はなく、怒りやもだえが切々と感じられますが、どんな時にも、ささやく如くの声が、オーボエによって私には聴かれます。
 そして終わりは諦観です。断ち切れ、決断して、前のみを見よ、という意味での積極的な意味を含んだ意味での諦観です。
 人それぞれの第5交響曲は運命と題するのにふさわしいと考えます。

(6)交響曲第6番 田園

 1807年秋「運命」の第4楽章を創作中に突然ハイリゲンシュタット(1801年にも行っている)に移り、その田園風景に浸って1808年に完成した作品。
 今も保存的に残されており、ベートーヴェンの生涯の一部に触れたいと思い、私も二度ここを訪ねました。 一度は厳冬に、一度は初夏に緑深いそして小川のせせらぎと小鳥の声は、第2楽章をぴたりと感じさせてくれます。この作品にはベートーヴェン自身によって標題が付けられています。

第1楽章 田園に着いた時の愉快な気分の目覚め
第2楽章 小川のせせらぎ
第3楽章 田舎の人々の楽しい集い
第4楽章 豪雨・嵐
第5楽章 嵐の後の簡悦と感謝

「私ほど田園を愛する者はあるまい…私は一人の人間を愛する以上に一本の樹木を愛する…森や樹々や岩が返し与える木魂は人間にとってまったく好ましい」 「全能なる神よ!森の中で私は幸福である。そこでは各々の樹がおん身の言葉を語る。-神よ、何たるこの荘厳さ。この森の中、丘の上、-この静寂よ。-おん身にかしずくためのこの静寂よ!」

 ヨゼフィーネとの好転しない関係、難聴の確実な進行と目の病と心身の困憊の中で「自然が唯一のベートーヴェンの友であった」とヨゼフィーネの姉であるテレーゼが言っている(R.R p.55)。 又、ベートーヴェンほど花や雲や自然の万物を完全に愛する人間を見たことがないという人もいます。
 動物をいつくしむ逸話があります。
 歴史家フォン・フリンメルの母は永い間ベートーヴェンに対して捨て切れぬ恨みの感情を感じ続けていた。 その理由は、彼女が幼い頃に捕まえようとした蝶をベートーヴェンがハンカチを振ってすっかり追い払ってしまったためといいます。
 そんな優しい又激しい自然現象をも感じ取らせてくれる第6交響曲です。
 〈付言〉第5、第6を通してベートーヴェンの人生脚本ともいうべき苦悩をつき抜け歓喜に至れの前編がうかがわれます。


孫の作文

「ひいおじいちゃん」   小原 ほのか

 私のひいおじいちゃんは、一ヶ月前に大阪の阪大病院に入院しました。理由はよくわからないけど、歩く事に精いっぱいで大変そうでした。
 そこでお見まいに家族で行きました。11月14日の夜、宝塚まで行き、土日をはさんで行きました。
 土曜日のお昼に、阪大病院に行きました。ひいおじいちゃんに会いに行ったら、
「おお、何度も手紙ありがとう。」
 と言ってくれました。私は何回かひいおじいちゃんに手紙を書いていたので、こんな風に言ってくれたと思います。 この言葉を聞き、覚えていてくれたのでとてもとても嬉しかったです。これからもいつもは会えないので、手紙で元気をあたえてあげたいです。
 この前までは、私がおよめにゆくまで生きていたいと言っていましたから、通院をして元気になって、西谷の家に帰ってきてほしいです。