ベストピア
月刊ベストピア

2007年7月号 第257号

希望の革命

(1)本との邂逅

 5月から6月にかけて日本をとり巻く状況を常識レベルで概観してきました。全体像が把握できるようにアナログ的に記す努力をしてみました。 それを書き終えた後に、この時代に希望が持てるかという不安が再び湧いてきました。6月の末に書棚にある『希望の革命』という本に手が伸びてしまいました。
 私の手元に残っている僅かな本は、暇ができたらじっくり読もうという『つもり』で存在しています。 マックス・ウエバー等の難しい本は2年前に神田へ思いもよらない安値で旅立ってしまいました。 もう二度と本は売るまいと堅い決意をし、その後の整理は専ら捨てるということにしています。 差し上げるということはもらう人の迷惑になるという忠告に素直に従っています。
 そんな二度の大整理の後に残っている本ですが、年を重ねることは集中力が弱まるということは計算をしていませんでした。 難しいものにはもう立ち向かえなくなり、従って、要らない本も増えてくる訳です。そんな状況の中で、ふと指が触れた一冊が標題の本です。
 この本を購入したのは1985年です。買ったときはそれなりの動機があり読み始めている形跡はあるのですが、熟読していません。 恐らく難しくて歯が立たなかったのか、忙しすぎて読み忘れたのか。ところが今回は一気に読めましたので驚いているところです。
これこそが本との邂逅、『一瞬遅からず、一瞬早からず』の言葉がピタリときました。

(2)別れ道

 著者は有名なエーリッヒ・フロムです。歴史に残る著書は『自由からの逃走』、『人間における自由』、『正気の社会』があります。
 『希望の革命』は、「1968年のアメリカの状況に対するひとつの反応として書かれたものである」と書き出されているように、 ベトナム戦争への泥沼化へ進行しアメリカの凋落が始まろうとしている時、即ち、アメリカ人が希望をもてるか否かという状況のもとで書かれた本です。 今日の全世界はそれ以上に希望がもてない状況にまで病が進行しています。
 この本は「私たちが今、別れ道に立っているという所信からうまれた。」
[1] 一本の道は、水爆戦争による破滅とまではゆかないとしても、完全に機械化され人間が機械の中の無力な歯車になってしまう社会に通じている
[2] もう一本の道は、人間主義と希望の復活に・・・技術を人間の幸福に奉仕せしめる社会に・・・通じている(はしがき ⅱより引用)
 これは40年前に「このディレンマをはっきり認識していない人々に対して、問題点を明らかにするためのものであり、 また行動への訴え」として書かれたものですが、今日はそれ以上の危機的な状況にあります。
 上記[1]で“機械”、“技術”という言葉は人間が作ったものを意味します。 水爆もそうですが、官僚制のような組織も巨大なコンピューターや金融システム、 更にはデリバティブのような金融工学(40年前には今日ほど具体的にはなっていませんでした)、株式市場も人間が作ったものです。 もし人間の操作なしで株式市場が動いているとすればまさに、物(人間が作ったものを物)による人間の支配です。 私たちは毎日この物によって支配されているといえます。
 エーリッヒ・フロムが示した②のもう一本の道の幅は狭くなるばかりです。
 ニモカカワラズ、希望を語る、語り合えるのが人間の素晴らしいところです。

(3)希望の源泉

 このベストピアの源流にあるものは、「希望とは何か」という問いであり、時々この問いが直接表面に出ておりますので、 継続して読んでくださっている方には「又か」となります。そうなんです。懲りないのです。 この問いを問わねば生きて生けないと言えば大袈裟になるかも知れません。
 しかし、著者は冷淡にも「希望とは何かという問いに対する答えを与えられると期待しないことをお願いしなければならない」と 受動的な姿勢に警告的なのです。従って読者は読み取ってゆく、それも自分の人生体験を通し、 又は重ね合わせて読み取ってゆくという姿勢で臨まなくてはならないのです。
 (2)の[2]のもう一本の道(非人間化に代わるべき道)への可能性、即ち、人間が作った機械や組織に支配されないで、 技術を人間の幸福に奉仕せしめられる社会にするために「私たちの多くの中に尚も存在する生命への愛 <biophilia>に訴えようとするものである。

 「生命を脅かす危険を十分に認識したときに初めて、この潜在力を動員して、 私たちが社会を組織する方法に徹底的な変化をもたらす行動に移ることができるのである。」と改定序文に記されています。
 今日この頃の社会では生命への愛も失せていると思われることが多すぎます。 エーリッヒ・フロムは楽観論者ではないかと言われるかも知れませんが、それに対して「私は成功の可能性([2]への道)について楽観しているわけではない。 しかし、生命が勝利をおさめるための真の可能性・・・たとえ僅かな可能性であっても・・・があるかぎり、 パーセンテージや確率で考えてはいけないのだと私は信じている」と追記し改定序文を締めくくっています。

 現代の私たちは手書きの資料よりもコンピューターからOUT-PUTされたものを信頼し、数値化されないものには不信頼を与え、 たとえ、不確実なものであっても数値化することによって説得させられ、又自動的にそれを受け入れています(納得はしていない場合が多いことに気づいていません)。
 本書は希望について個人的な事柄・・・人間の性格構造、性質、潜在能力・・・(人間のシステムという言葉を用いています)と、 現代の社会的政治的経済的問題とを結びつけようと試みられている興味の尽きないものです。次回以降を楽しみにしてください。

 『希望をもって生きることができるのは、人間だけである。
 希望の内容が人間の格を創る』
  平澤 興 「生きよう今日も喜んで」より

伝票一枚に生命を懸ける

 経理は地味な仕事です。売上に直結しないということで軽んじられ易い仕事です。
 しかし、経理を軽んじる企業は「一円」に泣くとも言われています。
 私は独立する前に五年間、非常に厳しい社長に仕えました。その厳しさは伝えることが困難なほどに暴力を含むものでした。 その社長の口癖の一つに「同じ伝票は二枚とない」ということでした。当時は、憎しみの余り、その社長の考えには批判的であり続けましたが、 この職業に従事して十八年になり、つくづくと伝票に命を懸けているスタッフの姿を見ているといとおしくなります。
 考えるまでもなく、同じ仕訳は二つないのであって、この仕訳の集積によって、会社の経営状況が判断できるわけです。
 仕訳がなければ、経理ははじまらない。
 では、仕訳とは何か?企業の最少の取引に金額を付したものです。・・・・どんなに小さくても企業の取引を具体化する行為なのです。 人間の体で言えば一つ一つの細胞のようなものです。一つの仕訳を粗末にすることは、一つの細胞を殺すことになります。 従って、仕訳は取引の都度なされなければなりません。

 最先端をいく会社では日次決算を実施していますが、年一回税務申告のために決算をする会社もあると聞き及びます。
 伝票を書く時間のないほど多忙な方が多いようですが、私から見れば自殺行為というほかはありかせん。
 この一枚の伝票をめぐって、今、大きな問題が発生しています。誰が伝票を書くべきか改めて問われています。
 取引は毎日企業で発生します。従って仕訳はどんなに複雑になっても企業の中で生まれます。 これを1ヵ月放置すると誰でも忘れてしまいます。この忘れたところを会計事務所に相談されます。 はっきり申して1ヵ月まとめて会計事務所に伝票を書いて欲しいということになります。 弱い立場にある会計事務所は推定しながら伝票を起票し、それをまとめて月次決算をし、一年分まとめて申告書を作成するということになるのです。 取引の現場にいないものが起票する伝票、しかも数ヵ月分まとめてダンゴになった取引を推定するのですから誤りも発生します。
 税務調査で帳簿の監査があります。ゆきつくところ「誰がこの伝票を起票したか」という質問になるのです。 ここで社長さんは、「私は経理は素人なので、会計事務所に任せてある」と答えるのです。事実としては全くその通りであります。 誤りが発見され追徴額税が出ます。いろいろありますが、負担するのは企業だけではありません。
 やってはいけない親切の代償は憎しみとなって、思わぬ結果を生じてしまいます。
 「この伝票を追加してくれ」と言う人がいます。それは出来上がった完成品を壊せという命令に等しいのです。 一枚の伝票、一つの仕訳は細胞の一つ一つに影響を与え、命を奪い場合もあります。真実を忘れてはいけない。追加もできない。それが伝票一枚の意味です。

事務を処理する秘訣

 哲学者森信三先生の有名な「幻の講話」第五巻十八話にある標題です。
 「この世の中は、(事務処理のような)一見したところでは、実につまらぬと事柄のほとんど連続といってよいほどだということです」
 「人々の多くは、それらの事務を、いわゆる俗事と呼んでいますが、しかし見逃してはならないことはそれらの事務は、何らかの意味で、 いずれも対人的な事柄なのであります。そこで、一見したところでは、なんでもないような事柄でありながら、その処理をおろそかにいたしますと、 それはやがて、その人との人間関係に響いてくるのであります」
 「事務的な事柄というものは、これを渋滞させないようにテキパキとさばいて行くということが、わたしたちの日常生活上いかに大切かということの一端が、 お分かりになったと思うのであります」
 最上の秘訣は、「すぐにその場で片付ける」こと。「どうせしなければならない事だったら、即刻その場で処理して溜めて置かない」ということであります。
 事務処理とは命と命の呼応関係であります。「心の負債」をつくらぬように!と警告されています。
 「段取り」の大切さ「あと始末」の大切さを強調される、現実の世界に立脚した哲学者の尊い言葉です。

 


~ 坂村真民詩選 ~

地球のある限り

地球のある限り 咲き続ける タンポポ
地球のある限り 鳴き続ける こおろぎ
地球に人間が  居なくなっても
咲き続き 鳴き続き
わたしの祈りを
わたしの願いを
わたしの夢を
伝えてくれる 小さい天使たち

      「独文 坂村真民詩集より」

 


孫の作文

 5年生になりました。静岡県に引っ越しましたので、頻繁には会えなくなりました。
 しっかりと成長しています。学校で毎週一つ作文を書いているようです。6月7日のものを掲載します。

「ホタルを見に西片へ」

 今日ホタルを見に家族で夜、西片のホタル祭りへゆきました。ホタル祭りとは屋台などがたくさん出ていてにぎやかな大きな祭りだと思っていきました。 でもそれは大きな間違いでした。屋台は少なくて、まるで町内会の祭りみたいでした。 でも、たくさんの人がいて、とてもにぎやかで心が温かくなるような楽しい祭りでした。
 次にホタルを見に山のほうへ 川に沿ってあるいて行きました。そしたらたくさんのホタルが飛んでいました。 その時私はホタルってすてきだなと思いました。なぜかというと、ホタルの明かりが消えたら、他のホタルが明かりをつけてくれ、 このホタルの明かりが消えたらというふうに、まるで運動会でやったウエーブのような感じにすてきだったからです。
 そして車で帰るときもホタルがたくさんいました。弟が「1っぴきホタルをつかまえて」と、お父さんに言いました。 その時、ホタルが近くにいたのでお父さんがつかまえてくれました。車でじっくり観察した後、にがしました。 とても、光が明るいホタルがたくさんいました。すごく、きれいでした。

爺の感想
 彼女の作文の締めくくりは、うれしかった。よかった。などの肯定的な感情の言葉が多いです。短文ですが、情景豊かに書いています。