2007年1月号 第239号
一歩後退二歩前進
平成19年元日より、筆者 小原靖夫は辻・本郷税理士法人の社員税理士として、
新しく人生をスタートいたします。スタッフ一同は全て引継ぎ雇用が保障されております。何よりも感謝すべきことは、
顧問先様全社がこの継承を承認いただいたことです。当分の間何かとご迷惑おかけすると存じますが、早急に体制を構築し、
更にお客様の期待に応え得る事務所にいたします。どうぞ変らぬ温かいご支援をお願い申し上げます。
12月から尾崎姉が産休に入りました。限界まで勤務してくれ後輩の指導にあたってくれたこと有難く感謝にたえません。
1年前までは、懐妊即解任で退職していた旧事務所とはすさまじい様変わりです。引継要員選定に苦労しましたが、
12月13日に菅原恵美姉を、25日に須山恵子姉を採用しました。この二人に加えて、従前より力を発揮していた井上清美姉、
高橋鋭人兄、畠中貞夫兄、大澤美子姉、勝田朝美姉、森下綾姉、柴田優子姉の総勢9名が辻・本郷税理士法人に移籍いたしました
(更に新年からは本部からの税理士が常駐します)。1月5日に出社し、電話のとり方の訓練をいたします。場所も電話番号も変りませんが、
事務所名が変りますので、しばらくの間は緊張して電話に出ることになります。しかしながら、前号で記しましたように、私達は辻・本郷税理士法人の
社員になれたことに誇りを持ち感謝しつつ自信を持って働きますので、短い時間で親しみなれることができると確信しています。
封筒はじめFAX用紙の変更、名刺や看板にいたるまで短期間で準備をいたしました。タイムレコーダーも設置していただきました。
ローカルな事務所が最新のハイテク装備の法人に変革します。毎月曜日は8時30分から朝礼をします。第3土曜日は全員が研修を受けます。
これが全て小田原に居ながらTV会議方式によって、本部からの指導を受けることになります。
最新の技術を持って価値ある情報をお客様に発信できることは私が最も望んでいたことで、その実現ができることで私の喜びはひとしおのものがあります。
湘南支部との命名も私が希望しました。小田原に限定せず、より広いマーケットで法人にしたいと願っております。この1年は人材の育成を重点志向していきます。
職業会計人を希望する若い方には、いつも門戸を開いておりますので応募ください。東京勤務も可能です。
新法人の特徴は大きな専門組織ですので、幅広い業務を深く極めている人材が多いことです。どんな事案にも対処できる能力があります。
例えば、医療法人専門があります。相続贈与や難しい資産の譲渡の専門部隊もあります。これから増加しますM&A、会社の分割、
合併にも専門部隊があります。これらの優秀な能力とローカルなきめ細やかな対応力が協働して、今まで以上のサービスを提供いたします。
一人事務所の不安を全て解決しての再スタートです。顧問先の皆々様、どうぞご安心なさって私共をご活用なさってください。
一人事務所の不安と恐怖をもって過ごしてきた1年間の苦悩から解放してくださった、辻・本郷税理士法人の皆々様に心から感謝いたしております。
極限のところで助けられ、喜びをかみしめて新年の歩みをはじめます。
国境のない鳥になる
(1)訃報
坂村真民先生の絶筆となった言葉です。
平成18年12月11日、午前4時40分老衰のため眠るように安らかにご家族に看取られて天に召されました。97年11ヶ月(1909年1月6日生)の
素晴らしく美しい今生を生き抜かれました。ご冥福をお祈りいたします。
ご葬儀は先生の遺言によって、ご家族のみによってなされました。香典、供物は一切預らないことも遺言されていますので、読者の方もそのことを
覚えていただきたく存じます。
(2)真民先生の遺言
『詩国』500号につづいて、鳩寿を不定期に発行されていましたが、その第1号(平成16年3月1日発行)に記されています。
全文を引用して再度ご紹介いたします。
びっくりされると思いますが、これはいつか一度は書かねばならぬと思っていたことです。わたくしに男の子があれば、子供に言っておけばよいが、
このことはわたしが書いて、皆さんに伝えておきたいのです。
『詩国』にはどうしても書けなかったので「鳩寿」にはまずこのことを書き、
私自身も軽い身になりたいと決意して載せました。その意味で読み、実行して下さるようお願いします。
一つ・・葬式はしない
宝厳寺(ほうごんじ)に第五番目の碑があり、その下に遺骨をいれるよう設計してあるので、時宗のお経を唱え入れてもらいますが、
葬式という形式はとりません。骨は骨(こつ)つぼにはいるだけで、(骨つぼは用意しております)あとの骨は、わたしの好きな海へ散じてください。
二つ・・香典・供物など一切預らない
これはわたしが尊敬する伊豆蔵福治郎さまにならいます。(わたしがうっかりしてお送りしましたら、
御遺族が返されました。)そんなことのないよう、妻の場合もわたしと同じく、決して送ってくださらないよう、かたくかたくお願いします。
三つ・・妻のこと、戒名のこと
妻はわたしより長く生きると思いますので、真美子と西澤孝一さんにお任せします。
普通のお方と同じく葬式をしてもいいでしょう。ただ戒名だけはわたしが彼女らしくつけておきます。わたしの戒名もわたしらしくつけました。
(3)サラリと生きて飛天となる
“父はサラリと生きることを切に願っていました”と、お嬢様からお聞きしました。その決意が読者へ向けての遺言となったように感じられます。
真民先生の詩に「生を美しく念ずる者は、死もまた美しい」とありますが、その言葉どおりに美しく爽やかな最期であられました。
本年6月2日にお目にかかったのが最後になりましたが、その時も時局の問題に触れ、不自由な口を一杯に動かされ腹の底からの声で私を励ましてくださいました。
お別れされる時はいつも先生の方から手を差し伸べてくださいました。指が長く大きな優しい手であったことが忘れられません。
その時も飛天の話をされましたが、鳩寿1号にはすでに「およびであったら、いつでも行ける用意をしておこう」「その日はつゆくさのつゆのように、
うつくしくかがやきたい」との思いをもっておられたようでした。その表面の詩です。
「飛天となり
茜(あかね)を連れて、飛天となり、
娑婆世界に生きる人たちの幸せを祈ろう
どうか皆さん、茜雲が浮かんだら
じっと仰いでください。」
(4)万里一条鉄
この言葉はよく先生からお聞きした言葉ですが、一貫した先生の信念は差別との闘いであったと私は感じています。 絶筆にありますように「国境のない」という言葉の奥には、「戦争のない世の実現に努力し、そういう詩を一篇でも多く作ってゆこう、 わたしが死んだら、あとをついでくれる若い人たちのために、この大願を書きつづけてゆこう」という大きな意味があると考えます。 真民詩の源流を代表する二つの詩を掲げます。
わたしの詩
わたしの詩は
生きるために苦しみ
生きるために泣き
生きるためにさげすまれ
はずかしめられても
なお生きようとする
そういう人たちに
ささげる
わたしの願いの
かたまりであり
湧き水である
一人でもいい
一人でもいい
私の詩を読んで
生きる力を得て下さったら
涙をふいて
立ち上がって下さったら
きのうまでの闇を
光にして下さったら
一人でもいい
私の詩集をふところにして
貧しいもの
罪あるもの
捨てられたもの
そういう人たちのため
愛の手をさしのべて下さったら
身近なところでも、差別をなされることはありませんでした。私のような者も親しく接してくださり、私に合う話題で話を進めていただきました。 マグダラのマリアの話、弟子の足を洗うキリストの話、よく聖書を読まれていたことは万人の知るところですが、平成元年仏教伝道文化賞を受賞され 式典にお招きいただきました。
(5)断定の祈り
「国境のない鳥になる」(酉年九十六歳)は断定の文です。
真民先生が断定の祈りについて語られたのは、平成8年10月、詩国412号及び平成12年3月詩国453号があります。
特に平成12年2月には「断定の想念」と題して90分の談話がありました。これから学んだ断定の祈りは強い人間的な意志のように考えられますが、
「念ずれは花ひらく」念誦を通して知らされる大いなる者の声に支えられての断定であろうと私は考えています。
詩国をお持ちの方には重複しますが、詩国412号の後記を再掲させていただきます。
(6)詩国412号後記転載
1.断定の祈り
ビデオ「詩魂の源流」の箱に書いてある「祈りの詩人」の祈りについて少し書きます。
この祈りは断定の祈りです。ここまでこないと、たとえば何か大きな災難に遭ったりすると、信仰が崩れてしまいます。
極端に言うと神も仏もないという無神論、無宗教者になってしまいます。
信仰は経験です。しっかりした体験の証しを持つことが大切です。良き師につけというのも、そうした体験を持つ師につけということで、
世評などに惑わされて就いたりすると、尊い一生を棒に振ることにもなります。
「念ずれば花ひらく」も断定ですが、念じても花はひらかなかった。運は開かなかった。会社は倒産してしまった。事業は失敗してしまった。
恋も敗れてしまった。その他いろいろと愚痴、泣き言を並べる人があります。そういうのはすべて断定の祈りに立たないからです。
九月一日(日)朴庵例会(毎月最初の日曜日)の時、藤内万値子さん(雅号旭須美)が弾奏される筑前琵琶「那須与一」(CD)を聞いてもらったが、
これはわたしが話そうとする「断定の祈り」の証しとして知ってもらいたいからであった。
疑えば花ひらかず
信心清浄なれば
花ひらいて
仏を見たてまつる(華厳経解)
この短い言葉に命まで取られそうになったわたしであるが、信仰は必然でゆかねばならぬ。与一の断定の祈りが、風波を静め、
扇の的を射切ったのである。断定の祈りは感謝である。感謝に始まり、感謝に終わる、これが断定の祈りである。新約聖書には随所に、
あなたの信仰があなたを救ったのだと、イエス・キリストの言葉が出てくるが、これは断定の祈りの信心信仰を言うのである。病気でも、治りますように、
という祈りでは治らない。必ず治るのだという断定の祈りに立たねばならぬ。
2.わたしの前にヨブがいた
「念ずれば花ひらく」真言碑を、イスラエルのヘブライ大学庭園内に建立してくださった小原靖夫さんから、この方の恩師である滝沢陽一氏の訳された
ギブソン著の「ヨブ記」を頂いた。四七七頁の大著であるが、かつてわたしは眼病から内蔵の病気になり、明暗の世界をさまよった時、ヨブに励まされ、
助けられ、救われたことがあるので、なつかしく、その当時を思い出しながら読んでいます。
神仏を否定したい時は、否定してもいいでしょう。神仏と戦いたい時は、戦っていいでしょう。でも闇は光となり、夜は朝となり、どんなひどい戦争でも、
いつか終わります。ヨブ記を読んでゆくと目には見えない神仏の存在が見えてきます。
妻が深夜大きな声で叫び出します。静めようとすると、どうすることもできないのだと言います。脳の大手術の時、どこかの線が切れたのでしょう。
祈るのみのあけくれですが、信仰を強め深めて下さる神仏に感謝します。断定の祈りは感謝の祈りです。禅語にも「日日是好日」とあます。ここまできて初めて、
大宇宙の心に触れ、大和楽であるという真意に触れることができます。二度とない人生を精一杯生きてゆきましょう。 ~引用終わり~
(7)有難き真美子さんの看病
私は自著「素晴らしき日々」の中で、ストロークの奇跡として、真民先生のお嬢様真美子さんのことを記させていただいていますが、
先生の晩年は偉大としか言いようのない真美子さんの父母への愛によって支えられていたと存じます。
先生の奥様がくも膜下出血で倒れられたのは、平成6年2月27日。それ以来今日に至るまで、殆んど自宅での介護によって暖かい家庭生活を続けられています。
「この子のお蔭で生きてこられた」と何度も先生はおしゃっていましたが、どんなときも明るく笑顔で接し、お母さんへの言葉がけ、お父さんへの読み聞かせ
(読者からの手紙等)から、お身体のお世話に至るまで全生活を支えています。
お葬儀も自宅でお母様もしっかりと参列なされたとの感動的なお話しを伺いました。
全てを任され遺言通りになさっている真美子さんを暖かく見守ってあげたいと思います。
